寒波がやって来た。
パリの気温は、冷蔵庫の中と同じくらい。
来週は冷凍庫の中と同じくらいになりそうだ。
ルクルーゼの大鍋でコトコトと鶏を煮て、食べ残した分は鍋ごとバルコニーに出しておく。日本から持ち帰った糠床に人参と赤かぶを漬け、これも外に出しておく。買い溜めした野菜も、キャディーに入れたままバルコニーへ直行。
冬は我が家の小振りな冷蔵庫が満杯にならずに便利だ。窓の外が巨大な冷蔵庫な訳だから。逆に、台所の小さな冷蔵庫を開けると、せっかく暖めた部屋の中にわざわざ冬を招いているようで、ちょっと面白い感じがする。
ノエルが近付き、盛んに節電が謳われている割には、街のイルミネーションは今年も例年に違わず煌びやかだ。朝は9時近くまで夜が明かず、昼はどんよりと重たいグレーで、午後は5時を回るととっぷり日が暮れてしまうから、日照時間の少なさを賑やかなイルミネーションで補おうとしている感がある。
フランスの人達に「好きな季節は?」と訊くと、冬と答える人は殆どいない。多分、今まで一度もお目にかかった事がない。冬生まれの私にとっては少し残念に思えるけれど、かく言う私も、この土地に来てから「冬好き」がすっかり薄らいでしまった。
流行りの風邪にやられて息子が連日学校を休んだので、年末までに家中の整理をしようと企てていた予定がすっかり狂ってしまった。古本や古着がたんまりと部屋の隅に溜まっているのが気になるけれど、見ないふり。仕方がない。
今週は時間を見付けてソニアとお茶をしようと約束していたのに、それも流れた。彼女曰く、「ママンの仕事は年中H24 (hasch vingt quatre)よ 」。「24時間」の言い方が流行りのティーンネイジャー風になっていたのが、ソニアらしくて耳に新鮮だった。
夕刻になって買い物に出た。
息子の看病ついでにここ2、3日家に篭っていたので、運動がてら少し足を伸ばして家から離れたブーランジェリーに向かう。ジャンという名前の、夫の気に入りの店。「ここのバゲットがこの辺で一番美味い」とのこと。両端が極端に尖ったバゲットを売っている。カウボーイハットをかぶってここまで買い物に出た時など、両手が塞がっていると、私はこのバゲットの先で帽子のツバをチョンと突いて直したりする。だから、私に言わせると「ここのバゲットがこの辺りで一番便利」なのだ。
ジャンのショーケースには、他のパティスリーと並んで厚ぼったいショコラ風味のマカロンが陳列していた。マカロンと言うより、大きさといい厚みといい、まるでハンバーガーだ。
バゲットを買うついでにその特大マカロンも一つ注文し、ショーケースの向こうのロマンスグレーの短髪のマダムに「ハンバーガーみたいですね」と笑うと、仏頂面が返ってきた。それどころか、もともと愛想があまり無いのが、口元が下がってますますへの字になった。
あれあれ?褒めたつもりが、繊細でない事を指摘されたと思ったのだろうか。一緒に笑い合えると思ったのに、予想外の反応。マダムは黙って俯いてマカロンを紙に包んでいる。ここで言葉を足しても言い訳のようになりそうだ。フォローのしようがないので、こちらも黙って見守る。しばしの沈黙の後、最後にセロテープで包装紙の端を留めながら、「でもこの方がずっと美味しいのよ」と結論を述べるように口を開いたので、すかさず「ビアンシュール!(もちろん!) 食いしん坊用のマカロンですものね!」と答えると、相手はようやく口元をニヤッとさせた。思わずムッシューと呼びたくなるような、どこか中性的な、体格の良いマダムだった。
いわゆる愛想の良い店員というのもいいけれど、私はこの手の職人気質の一見気難しい人が実は嫌いではない。一筋縄ではいかないところが面白かったりする。なかなか笑わない相手をニヤリとさせた暁には、「撃ち落としたり!」と嬉しくもなる。一度彼らに認められると、開かずの扉が開いたような、あるいは、特権を与えられたような気分になる。
何を隠そう、パリのカフェやブティックなどには、こういった気難しいタイプの店員が結構多い。お客に媚びを売らないどころか、逆にお客の方が試される。言うなれば、お手並み拝見といった具合なのだ。
買い物帰り、パンパンになったキャディーを引いて家路へ向かう長い坂道を上り、教会の前のサパン(モミの木)の前で一息つく。今年もまた、あっという間に一年が過ぎ去ろうとしている。全く実感が湧かない。
果たして私はこの一年の間に何かを得ただろうか?こうやって、時間は湯水のように流れていってしまうのだろうか。体ひとつ、一度きりの人生では、とても足りない。そう思いながら、きりりと冷たい夜風に揺れるサパンを見上げた。豆電球が星座みたいに冴え冴えと輝いていた。