Ma boîte à bijoux 日々のビジュー

パリでの日々、思ったこと

Souvenir de Canterbury

この夏に訪れたカンタベリーから連れ帰ったベゴニア。

f:id:Mihoy:20191001173658j:image

ヴァカンスが明けてからも、細い鎖にぶら下がった耳飾りのような真紅の花を常に咲かせて目を楽しませてくれる。

四方に伸ばした腕の先には、次の蕾が待機していて頼もしい。

 

ベゴニアは、記憶によると乾燥を嫌うから、しとしと雨の多いイギリスならともかく、カラカラのフランスでちゃんと育ってくれるかしら と懸念したけれど、杞憂だったようだ。

 

私のベゴニア好きは、母に由来する。

ビル風の強いマンションの最上階のベランダで、つまりベゴニアに向いているとは言い難い環境で、母が幾鉢か大事に育てていた。

長い間は育たず、旅行に出たりして枯れてしまう度に母は心を痛めていた。

寂しがりやで構ってもらうのが好きな花なのだ と子供心に思ったものだ。

でも本当のところは、どこかの亜熱帯のジャングルなどで、艶やかな葉を繁らせてたくましく咲き誇る花なのかも知れない。

 

とうの昔にどこかにいってしまったけれど、ストーリーも忘れてしまったけれど、ベゴニアの妖精の絵本も持っていた。

覚えているのは、その妖精のふっくらしたほっぺが桃色だったこと。目元のまつ毛が素敵に長かったこと。ベゴニア園とでも言うべく温室に住んでいて、そこを訪れた少年がその姿に淡い恋心を抱いたこと。

 

 

カンタベリーは、夏のイギリス旅行の最後に訪れた地。

案内書を紐解くと、カトリックの最古のカテドラルが美しい歴史的な町。

個人的には、

人魚の髪のような長い水草のたなびく麗しき運河で、とんでもなくチャーミングな人に出会った地。その姿を目にした瞬間、そこだけに急に強烈な光が射し込んだようだった。

このささやかで強烈な出来事は、仲の良いコピンヌ達にも話していないけれど、フランス人的に彼女たちに報告するとしたら、J’ai flashé sur lui. となるだろうか。 直訳で「フラッシュが光った」、意訳すると「一目惚れした」 といったところ。光を受けたのは相手で、光を放ったのは私ということになる。

フラッシュを焚く と言うと、写真を撮るシーンが思い浮かんで、とてもありきたりだ。高速道路でスピード違反した時のフラッシュのシーンが思い浮かんだりもするが、私の経験した目のくらむ光は、どちらかというと日本語の「青天の霹靂」に近い。別の言い方をすれば、グレコの宗教的な絵画の中で、注目すべき人物の頭に、天から神懸かり的な眩ゆい光が射しているのと似ている。

 

行きすがりの出会いで、名前も知らないけれど、

そのキラキラした情景は、人知れず私の心の引き出しにそっとしまってある。

心の中で、その人との対話は続く。

内容は主に彼が詳しい歴史の話だ。

 

妻の多かったヘンリー8世のこと、個性の強い女王エリザベス一世のこと、魔女狩りの話、シェイクスピアに比べて日陰な存在のマーロウという劇作家のこと、当時のイギリスの貴族はみなフランス語を嗜んでいたという話、

エトセトラ エトセトラ。

そして、私は、

どうして私がマリースチュアートの存在を意識するようになったか という話をしよう。

 

輝く瞳のその人は、麗しき翠の運河のたもとで、私の話に耳を傾けてくれる。