Ma boîte à bijoux 日々のビジュー

パリでの日々、思ったこと

Notre dame

近所の教会の前に今年も据えられたモミの木は、日が暮れると灯りが点る。

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豆電球に縁取られた枝先がゆらゆら風にそよぐ姿は、まるで深海の光る生き物のようだ。

 

夜、テレビで、4月に火災にあったノートルダム寺院の特集番組を見た。着工から今日に至るまでの歴史を振り返る、ドラマ仕立ての番組だった。パリのノートルダムも去ることながら、この春の旅行でストラスブール寺院の佇まいに圧巻されてから、カテドラル建設の歴史的経緯が気になっていたので、とても興味深く見た。一体、いつ、誰の手によるものなのか?どのように建てられたのか?どれほどの時間が費やされたのか?

 

12世期に一人の権威ある聖職者が夢見たことに始まって、完成に至るまで、実に気の遠くなるような年月を経て、目まいのするような大量の作業をこなし、ようやく日の目を見た壮大な建造物。人ひとりではとても成し得ない事が、人と人が集まることで可能になる。人ひとりの人生ではとても叶えられないことが、後世に伝えることによって時を超え、可能になる。人間が横と縦に繋がると、すばらしい力が生まれる。

なんて偉大なんだろう。

 

けれども、そんな我らが貴婦人ノートルダム寺院も、フランス革命の時代には王政のシンボルと見なされて破壊行為に遭っている。今回のパリのグレーブやイエロージャケットのデモではないけれど、デモクラシーには野蛮な一面がある。人間一人ひとりの自由が尊厳される時代には、後世に残る偉大な建造物などといったものはあまり生まれ得ないのが残念だ。こういった巨大事業が実現されるには、絶大な権力を持った人物が、飽くなき「夢」を見て、圧倒的な影響力でもって周囲を巻き込む のが絶対条件であるに違いない。

革命によって闇に葬られたノートルダム寺院は、その後、ナポレオン1世の戴冠式が行われたことによって再び脚光を浴びる。(やはりここでも独裁者「エンペラー」が救世主という訳だ。) ところが、ゴシック様式が時代遅れと忌み嫌われた時分には、再び憂き目を見ている。そして19世期に入り、筆の力で彼女を救い出したのが、かのヴィクトール・ユゴーであった。しかし、実際に改築に至ることができたのは、つまり、その為の莫大な資金を当てがったのは、奇しくも、ユゴーの宿敵であった皇帝ナポレオン3世であったのだ。またしても独裁者の助け舟。

800年もの間、まさに時代の波に翻弄され続けたノートルダム寺院は、現在、再度修繕の手が入ることによって危機を乗り越えようとしている。

 

カテドラルの石のひとつひとつ、その細部の一つ残らずに人の息がかかっている。

人間ってすばらしい。人間万歳!