Ma boîte à bijoux 日々のビジュー

パリでの日々、思ったこと

Petit Napo

息子を連れてナポレオン展

 

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朝、窓を開けると、今朝はお向かいのヴェロニックの窓の雨戸が全てぴっちりと閉まっている。

バゲットを買いに出た帰り、アパルトマンを見上げると、上の階のイザベルもしっかりと雨戸を降ろしている。

毎年7月14日が過ぎると、観光客に席を譲る形でパリの住人はみんないなくなる。そして、私たちは今年も居残り組。去年に続き、パリで過ごす2度目の7月だ。

 

朝食を済ませた頃にヴェロニックからSMSが入った。ヴァカンス前にお茶に誘いたかったけれど、結局タイミングを逃して今朝発ったのだ と。今年は涼しいアルプスの山で過ごすのだとか。パリに残るなら子連れでナポレオンの展覧会がお勧めとのこと。そういえばどこかでポスターを見た。居残り組親子は、昼食の後にさっそくパリの北の果ての展覧会に足を運んでみることにした。

 

エジプト遠征でナポレオンが乗ったラクダの剥製、彼が製造させたフラン硬貨 (またの名は、ずばりナポレオン硬貨)、堂々と N のイニシャルが刺繍された玉座、取手に特大のダイヤモンドが嵌め込まれた剣、ビーズ刺繍の施されたジョゼフィーヌの床を引きずるマント、2度目の結婚式に使われた木製の馬車、そんなこんなが展示されていて見ものだった。

 

夏休みなので、私達のような親子の姿もちらほら。10歳にもならないくらいの男の子に、囁き声で分かりやすく詳しい解説をしている男性とすれ違った。微笑ましかった。子供に噛み砕いた解釈をしてあげるのは、なにもママンの専売特許ではない。あの男の子は、パパのお陰できっと歴史好きになるだろうな なんて思った。親から子への伝達。パッションの飛び火。素敵なパパさんだ。

 

最後の展示室には、ナポレオンが退位の書類にサインを記すのに使用した羽根ペンが飾られていた。長く白いガチョウの羽に、丸く赤い蝋の印章が付いている。鉄砲で打たれて落ちた鳥の翼と、その傷口の血のように見えた。

同じ展示室には彼のデスマスクもあったけれど、非常に地味で、誰も足を止めてはいなかった。一本の軽い羽根ペンのほうがよっぽど苦い記憶を宿しているように見えたのは、退位こそが彼にとって人生の終わり、死の前の死だったせいだろうか。その屈辱の思いが、200年経った今もそこに宿っているせいだろうか。考えてみたら、自らの死の記憶など誰も持ち得ない筈だ。とにかく、ナポレオンのデスマスクには、意外なほどなんのメッセージも読み取れなかった。

 

大規模な展覧会とくれば、なにかしら強い刺激を受けたり、感化されたり、インスピレーションを受けるものだけれど、今回のナポレオン展は、知的な満足感が得られた以外には不思議と「感じ取るもの」が少なかった。その理由の一つは、彼が純粋に権力と戦いの人だからかも知れない。

全く美食家ではなかったという事実も、彼の性質をよく表している気がする。社会的に昇り詰めること、領土を広げることのみに興味があって、それ以外の生活のディーテイルにはさらさら興味のなかった人だという気がする。豪華な晩餐の食器が並んだ展示では、数ある皿の一枚一枚に、彼の遠征の手柄や領土の地図が描かれていて、「こんなところにまで」と苦笑してしまった。スープを飲み終わる頃、皿の底から彼の誉が視界に現れたりするのだ。なにしろそういう事で頭が一杯だったのだろう。

 

頂上まで昇り詰めた後、戦いに敗れ、没落して島流しにあった彼。幸せな最期を送ったとは言えない。果たして、後世でこれほど有名な英雄扱いを受けて、空の上で今頃喜んでいるのだろうか?

 

展覧会の後、久々に欲しくなってピンクのソフトクリームなんてものを食べた。子供に戻った気がした。息子は公園の屋台の釣りゲームで、流行りのオモチャ、ポピットなるものをとうとう入手。ご満悦の程。

よく晴れて、少し日焼けした。

明日は時代順にヴィクトール・ユゴーの館にでも行ってみようかな。ナポレオン1世に憧れ、ナポレオン3世を敵に回したユゴーに会いに。