Ma boîte à bijoux 日々のビジュー

パリでの日々、思ったこと

Paris Paradis ?

5月19日

 

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春先に予告された通り、長らく閉鎖されていたレストランやカフェ、ミュゼやシネマがやっと今日から再開した。何ヶ月ぶりだろう?半年以上閉まっていたのは確かだ。

 

最近は意識的に毎日ニュースを見聞きすることもしなくなった。現在に至るまで政府のお布施 (?) がコロコロ変わってきたので、もう今がロックダウンの最中なのか否か、外出制限下なのか否か、時々よく分からなくなる。

因みに外出制限については、昨日までの19時が今日から21時に繰り下がった。一応、今日で一旦「緩やかなロックダウン」が明けたことになるのだろう。

私個人としては、当初のウィルスへの恐れは、「タチの悪い風邪に気を付ける」くらいのスタンスに既に移行している。気が合って親しくしている友人達も、そのくらいの感覚の持ち主が多い。

 

パリはずっと遊具のない遊園地のような寂しい姿をしていたから、久々に開店したカフェテラスは、待ちに待った回転木馬に人が集まったような明るさと賑やかさだ。以前は極日常的だった光景が新鮮に目に映る。まるでルネッサンス。

テラスの椅子に陣取ったお客さんたちは、ようやく取り戻したカフェライフを満喫している風で、なかなか席を去ろうとしない。人々の話し声やグラスや食器の触れ合う音が賑やかで、耳に心地よい。これぞ本来のパリの音楽だ。

失って初めてよく分かるのが価値であるのなら、何でも一度失ってみる価値があるのかもしれない。もちろん、再び取り戻せるなら という条件付きで。

そういえば、パリという名前は、パラダイスという言葉に語源を持つのだと今日初めて知った。

 

夜は久々にテレビを観た。

話題の著者を数人招いて彼らの新刊を紹介する、気に入りの番組。ゲストの1人に、フランス語で作家活動を行うアメリカ人女性が出演していた。児童文学のベストセラー作家だ。何を隠そう、彼女観たさにテレビを点けた訳なのだ。白髪のおかっぱ頭で、フレームがハート型のピンクの色メガネを掛けている。外見だけでも既に楽しいお人。息子の学校で課題図書になっていたのを読んで以来、息子よりも私のほうがファンになってしまった。

 

彼女は、ピッタリくるフランス語訳が見付からない英語のひとつに Fun があると話す。フランスではよく "Travaille bien ! " (しっかり勉強するんだぞ) と言って、朝学校に子供を送り出すけれど、アメリカでは Have fun ! なのだと笑う。そんな日常の些細な言葉の選び方に、それぞれのお国柄が見え隠れする、と。

 

実は私がこの著者に興味を持った理由の一つは、物語の面白さはもちろん、彼女がその著書の後書きでフランスの学校教育のお硬さに対する驚きを隠さず、明るいユーモアを込めてからかっていたからだ。日本人の私は、アメリカ人の彼女の指摘に全く同感だった。感心できない点を、カルチャーショックとしておおらかにユーモラスに語る彼女が素敵だなと思った。年齢にも関わらず、柔和で happy な光を発するチャーミングな女性だ。

 

もう1人のゲストに、作家にして造園家の男性の姿があった。天井の焼け落ちたノートルダム寺院を、「命の失われた木」を梁にして元の姿に修復するのではなく、屋根が無くなり光の届くその空間に「命のある木」を植えて庭にしてはどうか?という大胆な提案を一冊の本にした人だ。これがどうして非常に魅力的だった。

 

例えば、「ノートルダムの庭」には葡萄の木を植える。葡萄酒はキリストの血のシンボルだから。棘のあるレモンの木は、イバラの冠に対するオマージュだ。そんな具合に、宗教の歴史と植物とリテラチュール(文学)が、ポエジーを効かせて一冊の本に織り込まれている。

庭が人々の祈りのための聖地になってもいいではないか と氏は語る。むしろ、植物ほどスピリチュアリティーに満ちたものはないと。深く頷く。すぐさま本屋に駆け込んで彼の書を求め、続きを読みたい衝動に駆られた。深夜で閉まっているのが残念だ。

 

前述の児童文学作家と、その造園作家との間で、ふと、どうして今日の学校はコンクリートの壁で覆われ、庭さえもアスファルトで固められているのだろう?という疑問が投げかけられた。命あるものを極力排除した環境こそ、教育の場に相応しいと言うのか?

常々感じていた事が、ようやくピッタリ当てはまる言葉を見付けて姿を現した気がした。そう、息子の受ける学校教育を目に私が感じている心のモヤモヤは、まさに、生命 (organique) が足りないと感じていたのだ。土や植物をそこに取り入れるのは、一番簡単な、そして一番妥当な学習の環境づくりではないだろうか。

 

今から教習所に通って、もう一度車の運転を練習し直すべきだろうか。息子を連れ、本を積んで、緑のある場所に遠出できるように。