Ma boîte à bijoux 日々のビジュー

パリでの日々、思ったこと

Tokyo à Paris

さて、ここはどこでしょう?

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答えは、パリの真ん中。サンジェルマン寺院の近く。パリの中でも、最もパリらしいカルチエの一つだ。

ちょうど昼時に用事で近くを通りかかったので、開店して間もない話題のラーメン屋に入ってみた次第だ。日本に行ったことがないコピンヌ(女友だち)達を連れて来るための偵察も兼ねて。

まず、普段は滅多に行列を作らない忍耐力のないフランス人が、店の外に列を作っている。これだけ見ても、すでにしっかり日本風だ。外は明るい昼間だけれど、店中を覗き込むと、そこには全くの異空間があった。人口の夜が広がっているのが見える。外は、オスマン様式のアパルトマンが軒を連ねるスノッブな白昼のパリ。中は、チープなトタンの軒が並ぶ夜の新宿ゴールデン街。対局する2つの空間を隔てるたった1枚の自動ドアは、さしずめガラスのどこでもドアだ。

足を踏み入れてみると、薄暗いウナギの寝床に、赤提灯があまた灯り、今時日本でもなかなかお目にかかれない古ぼけた木の電柱、どこで手に入れたのか古い番地標識、ちゃんと正しい日本語で墨書きされたのれん(フランスのなんちゃって和食店では、よく誤った日本語表記を見かけるものだけれど)、昭和時代を思わせる駄菓子屋の屋台などが、ゴチャゴチャと狭い空間に所狭しと収まっている。BGM に日本の雑踏のノイズまで流している徹底ぶりだ。

 

キャロリーヌやイザベルやエドウィッジは、きっとこのパリのトーキョーに連れて来たら驚くだろうな。彼女達は、まだ見ぬトーキョーを清潔で近代的な大都市だと思い描いているから。教えてあげなくちゃ。ピカピカの最先端で、レトロで薄汚くて、簡素でスッキリしていて、ゴチャゴチャ詰め込まれていて、昼間はマジメで大人しくて、夜は酔っ払いがハメを外して道で寝ていて、学生がみんな制服を着ているかと思えば、コスプレで仮装した軍団が歩いていたりして、対局するものが一緒くたに存在するのがトーキョーなのよ、と。

 

この新しいラーメン屋の店員は、皆若いフランス人ばかり。パリの巷の和食店というものは、たいてい(見かけがアジアチックであるから)中国人従業員を雇っているが常なのに比べると珍しい。「ラッシャイマーセ!」「アリガトゴザマース!」と日本語(もどき?)の掛け声を威勢よく飛ばす。そのフレンチ訛りが微笑ましい。

昔、東京の表参道の目抜き通りに、本格的なパリ仕込みの広くて素敵なカフェがあった。フランスに渡る前のアヴァン・グ(avant goût、先駆け)に、読めもしない睨めっこ用のフランス語の本などを携え、時々通った好きな場所だった。紛れのないジャポネ(日本人)のギャルソン達が、黒いシックなタブリエ(エプロン)を腰に巻き、カウンターに注文を流す度に「ウイ」「シルブプレ」と平らなジャパニーズフレンチを店内に響かせていたのが印象的だった。パリのこのラーメン屋は、正にその逆ヴァージョンだ。

 

和食と言えば、パリの sushi ブームに火がつき始めたのは、私が来仏した2000年頃だったように思う。当時、ほとんどのパリジャンパリジェンヌは生魚には食指が動かなかった。16区の瀟洒なアパルトマンに住んでいたホストファミリーのマダム サークは、生魚と言えば、サーモンの切り身にシトロンをかけて「焼いた」(表面が白くなるので)北欧の料理以外は試す勇気がないわ、と言っていたっけ。当時恋人だった今の夫とは、一緒にマルシェで買った魚を自己流にさばき、握り寿司作りに挑戦して、集まった仲間達にもてなした事もあった。あれから20年が経った。今では sushi を食べた事のないフランス人の方が珍しいくらいになり、地元の本格的なチェーン店もできた。マダムサークが存命していたら、きっと彼女も、孫達と一緒にお洒落なレストランドゥスシに時々足を運んでいたに違いない。最近はブームも絶頂に達して、大手スーパーの惣菜売り場にもスシコーナーがお目見えするまでになった。結婚して一児の親となった私と夫は、もう台所に居座って握り寿司を手作りしたりはせず、電話一本かけて近所に注文するようになった。

そして、そんな熱い寿司フィーバーのお陰で(?)すっかり箸の使い方をマスターしたフランスの人達が次に目を付けたのが、「日本のラーメン」なのである。

ただし!ここですっかり東京の屋台に居る気分になって、熱い麺をズズッと啜ってからハッと気がついた。ここはやっぱり日本ではないのだ。決定的な違いが一つある。ここパリのトーキョーでは、誰も音をたてて麺を啜ったりはしないのだ。残念ながら。

J'ai le mal de pays. ホームシックはフランス語でマル・ドゥ・ペイと言う。直訳すると、「国やまい」とでも言ったところか。

考えてみたら、日本でロクに社会人として働いた経験なんて無きにしもあらずの私だ。だから、仕事の後に上司や同僚と一杯、なんて東京人らしい習慣も、実はほとんど経験がない。ほんの1年ちょっと画廊に勤めていたから、せいぜい1、2度、年末に銀座の料亭に連れて行ってもらったくらいだ。(こちらの方が贅沢だけれど。) 大学生の時に、毎週末仲間とちゃんと東京人らしく飲み歩いておいて良かった と思うくらいだ。フランスの社会人は、仕事の後は大概真っ直ぐ家に帰るものだ。所変われば何とやら。もしあのまま東京に残って、働いて、暮らしていたら、今頃どんな風だったのかしら?と、しばし想像した。

珍しく、ちょっぴり日本が恋しくなった。