Ma boîte à bijoux 日々のビジュー

パリでの日々、思ったこと

L’hivernage printanier

今年もマグノリア(木蓮)が満開だ。

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政府の出した2週間の外出制限は、確実にもっと長引くだろうと囁かれている。さしずめ春の冬籠りだ。

この季節に美しい公園や庭園を散歩できないのは残念だけれど、うちにはたっぷり本もある。食糧は時々買いに出ればよい。遅い冬籠りは私にとってさりとて苦ではない。

 

午後は子供部屋のクローゼットの奥にしまってあったオセロ盤を引っ張り出し、しばらく振りに息子の相手をした。数年前は全く相手にならなかった彼だけれど、今なら手解きの甲斐がある。毎日側にいると見えないけれど、月日はちゃんと経っているのだなと思った。

ついでなので、埃をかぶっていたチェスボードも出してみた。いつだったかのノエルのプレゼントだ。遊び方を知らないので隅に追いやられていたけれど、この際試してみるとしよう。タイクツする時間があるのもよいものだ。

 

夫の親戚のハディーは電話口で、家族や子供たちの近況を一通り伝え合った後、経済への影響も心配よね、と、もっともらしい一言を添えたけれど、実は門外漢の私はそんな事はほとんど気に掛けていない。ピークを過ぎた資本主義がとうとうゲームオーバーになるのかも知れないと思うし、よい潮時かも知れないとさえ思う。ついでに、これからのそんな世の中を生きていく未来の大人、つまり今の子供たちに施す教育について考え直すチャンスだ。学校が「お金を稼ぐために役立ちそうな知識を前もって広く教える場所」という形態を変えるべきだと思う。本来の生活力というのは、この先、きっともっと別のものだ。お金というシステムは頭の良い発明ではあったけれど、如何せよ「引換券」以外の何ものでもないのだから。

 

台所の引き出しの奥深くに眠っていた子供包丁もひっぱりだした。息子が幼稚園の年長の時以来 ( ! ) 使っていなかった。小学校に上がってからというもの、「学校」や「宿題」と呼ばれるものにすっかり時間を拐われていたのだ。しなくてはならない大切な「おべんきょう」はもっと他にもあるにのにね。

 

大衆の流れに逆らって生きようとするのは決して楽でない。友人に、確固たる意思と未来へのビジョンをもって子連れで遠い南の島に移住し、自然に寄り添った自給自足生活を目指して暮らしている素敵な肝っ玉母さんがいる。この頃、いつもにも増して彼女のことをよく想う。彼女の時代が来るのかも知れない。それは悪くないことだなと思う。