Ma boîte à bijoux 日々のビジュー

パリでの日々、思ったこと

Le petit lapin à fleurs

スーパーから特大の買い物袋を抱えて帰った夫。その中身を台所で一緒に出しては片付け していると、袋の底から、首に小さな鈴を付けたかわいいウサギがひょっこり出てきた。

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イースターのショコラだ。

ピンクの花模様が微笑ましい。夫に似つかわしくないチョイスなので、「C'est pour qui ? これは誰に?」と聞くと、もっともらしく「Pour toi. 君に」と答える。春らしいうさちゃんは確かにとっても私好みだけれど、ちゃっかり夫のお腹に収まるのは分かっているので、メルシーを言ってから冷蔵庫の一番上の「夫の段」に納めておいた。

 

そう、本来ならば、昨日から2週間のイースター休みが始まったところ。

この時期、ウサギのオブジェを飾ったり、子供達はカゴを片手に庭に隠した卵形のショコラを探したりするのが慣例だ。けれども今年の春は、まるで私たちが卵の中に篭っているような状態。いつになったら思い切り飛び出せるのかしら。

 

現在の仕事のポストにやや食傷気味な夫は、最近、転職のチャンスを伺っている。主にアメリカと取引のある大手の商社から連絡があったと、昼食の席で、お皿の上のプレ(poulet チキン)を器用にナイフでさばきながら満足気に話す。水を差すつもりはないので私はそれを黙って聞いていたけれど、内心では、この異例の「春の冬籠り」から解き放たれた世の中では、果たして本当に今までの「続き」が待っているのだろうか?と考えていた。果たして、元通りの意識で暮らしていけるのかしら?と。

世の中は、今までとは違う展開を見せるべきターンポイントを迎えているのではないかしら?文明の進化のベクトルを信頼しきっている夫は、そんな風には全く思っていないようだけれど、未来には今よりも更に便利な時代が待ち受けていると想像している風だけれど、長く続いた一つの時代が、今、終結しようとしているのだとしら?

 

便利なものが一杯できて、スイッチを押せば夜でも昼間になり、ツマミを捻れば火が、蛇口を捻ればきれいな水が出て、近所のスーパーに行けば遠い異国の野菜果物が手に入り、キーボードを叩けばあらゆる情報が、お金を渡せば大抵のものが手に入り、不自由しない魔法のような現代人の生活。それが悪いと言っているのではなく、そんな時代がいつまで続くか保証はない、と思うこの頃。そう思わせる兆しが見え隠れするこの頃。

 

もし、なにかの拍子に突然そういった恩恵に与れなくなったら?一瞬で魔法が解けてしまったら?そういった場合、今のままの私達では実はあまりにも無知で無力で無防備なのではないかしら。

 

遠くのものより、もっと近くのものを。

頭でっかちでヴァーチャルな知識よりも、もっと手と体を使った知性を。

危機はチャンスのシノニム (synonyme / 同義語)。

しなやかに、思い切った意識のレボリューションが必要なのではないかしら。

 

と、思うのです。