Ma boîte à bijoux 日々のビジュー

パリでの日々、思ったこと

Moïse, le super prof !

今日はモラルについてちょっと思うところがあった。

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息子がちょっとしたイタズラをしでかした。

別に大したことではない。彼くらいの年齢のこどもに有りがちなことだと済ませてしまえば、それまでなのだろう。けれども、自分の子供はそれくらいの分別は付いているだろう と、タカを括って信用していた裏をかかれたというか、普段私が親として施しているつもりの家庭教育で、そんな事も伝わっていなかったのかと、ガッカリする出来事でもあった。

 

子供がやってはいけない事をしでかした時に、その子が女の子の場合は、「そんな事しちゃダメでしょ!」という戒め方で効果があるけれど(その女の子は、なぜ怒られているのか、どうすれば良かったのかを“察する”けれど)、相手が男の子の場合は同じようにはいかず、何がどういけなかったのか、どうするべきだったのか をダイレクトに (しかもなるべく簡潔に) 言ってあげないと通じない という話をどこかで聞いた事がある。我が息子を見ていると、この説には大きく肯ける。

どちらにしても、これは事が起こってしまった後の「対処法」の話である。

 

では、

伝わっていると思っていた大切なモラルが、実は伝わっていなかった、そんな事はとうに承知しているだろうと思った事が、実は頭に入っていなかった というエラーを出来るだけ未然に防ぐには、どうすれば良いだろう? 

 

そう考えて、ふとある事に気が付いた。

人生で最も大切な事柄 (道徳とでも呼べばいいかな?) は、案外、何処にもくっきりハッキリとは書かれていないのだ。

子供用のお伽話にしても、大人向けの本にしてみても、ほとんどの場合、モラル教訓は各自で導き出すものとされている。教育の場で使われる教科書に到っては、モラルについては触れもしないか、辛うじて質問の形で載っているのがせいぜいだ。

 

そう気付いた後、ふと、先日歴史の授業の一環で息子に読んでやったモーゼの十戒の話を思い出した。

モーゼは、エジプトで奴隷扱いされていた劣等生のユダヤの民を救い出し、「自分たちは神に選ばれた民なのだ」という理屈抜きの優等生意識でモチベーションアップに成功し、オマケに、石板の上にくっきりハッキリと刻まれた十戒をモラルとして掲げた。

同郷人から物を盗んではいけない、殺してはいけない、羨んではいけない 云々のアレである。

何もわざわざ石板に彫り込まなくとも当たり前な事柄ばかりだけれど、目にも明らかに noir sur blanc (ノワール・シュール・ブラン / 白地に黒) で、しかも伝わり易いシンプルな言葉で、「書いてある」というのが重要なポイントなのだ。(例え民衆が識字者でなくとも!)

まさに、迷える民を導くにパーフェクトな策略ではないか!

 

よし、明日から我が家の十戒をくっきりハッキリ書いて貼っておこうかな。

食べたらお皿は片付けましょう

トイレットペーパーは使い切ったら新しいのをセットしましょう

8時までにパジャマに着替えましょう

出した物は仕舞いましょう

うんぬん