Ma boîte à bijoux 日々のビジュー

パリでの日々、思ったこと

Une pensée sur l’argent

これからの世界はどんなふうになるのだろう?とこの頃よく考える。

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きっと、そう考えている人達は今頃たくさん居るはず。

 

篭りきりで人と会う事もないので、親しい友達とは時々電話で近況を伝え合うことにしている。

そんな仲間の1人に、旦那さまがお医者さんの友人がいて、昨日は彼女に連絡をしてみた。このパンデミック騒動の影響をまともに受けて大変な思いをしているのではないかと気掛かりだった。

 

電話口での彼女の声は普段通りに明るく、ご家族みな安泰とのことでホッとする。ドクターは休む暇もなく過酷な毎日なのでは?と聞くと、政府の奨励する電話問診システムが正式に布かれてからは大丈夫 との返事だった。

この騒動の初期の頃は、まだ感染者が少なかったのみならず、診療所に出向くことで感染するリスクが高いとイタズラに騒がれていたので、逆に患者が激減した時期あったそうだ。

「病気の人が少ないのならそれは喜ぶべき事だけれど、患者さんの足が遠のいて診療所が空っぽとなると、それはそれでこちらの生活費にも影響が出て、微妙な立場だったのよね」と彼女は率直なところを述べる。

育ち盛りの子供達を抱え、大黒柱の収入が突然無くなるととても痛いのはよく分かる。

うんうんと頷く。

「その後、今度は逆に患者さんが急増して、夫が感染する心配も増えるし大変だった時期があったけれど、電話問診を優先できるようになって最近ようやく落ち着いたところなの」と肩を撫で下ろしている様子。

よかったよかった と、話を聞いていた私も安心した。

 

それ以外では、彼女の所でも我が家と同様、子供達は学校のない生活にすっかり慣れて特に不服はない様子とのこと。学校は毎日カリキュラムを送りつけてくるので、私達ママンの仕事はいつもの3倍よね、と苦笑して肯き合った。

元気そうで何よりだった。

 

 

今後の世界の変化を思う時、資本主義とお金の価値の見直しは、避けて通れないテーマではないかしらと思う。

 

お金は、確かに人間の賢い発明品の一つであった (敢えて過去形!) には違いない。けれどもこのお金のシステムの決定的な問題点は、この世の人間がみんな幸せになる事を目指していない という点ではなかろうか。困る人がいると、儲かる人が必ずいる。満たされた人がたくさんいると、それだけお金を失う人がたくさん出てきてしまう。お金は人類の平和の為になんぞ存在していないのだ。だから、世の中がお金を中心とした現在の経済活動でもって回っている限り、人類の幸せはあり得るはずがない というのが、昨日の時点で辿り着いた私の結論だ。

 

友人との電話を切った後、昼食の席でそう夫に話すと、経済問題に疎い私の話を珍しく茶化さず釘も刺さず最後まで黙って聞いた後、「じゃ、その替わりに君はどんなシステムを提案してくれるっていうの?」と訊ねてきた。代替策を教えてよ、と。

 

即答できる内容ではなかったので、「分からないから考えているの」と答えた。分からないけれど、私なりのユートピアのちょっとしたイメージは、心の中 (頭の中ではなく! ) に無きにしもあらずである。