とある家の塀の向こうから降り注ぐように咲く薔薇にお目にかかった。
悩みはイバラのようにふりそそぐ
そんな題名の山田かまちの詩集があったけれど、こんな風に大輪のバラがふりそそいでくれたら、ちょっとやそっとの悩みなんて忘れてしまいそうだ。
いつも買い物ついでに、そこここに咲く花などを見付けては立ち止まって写真に収める。同伴する息子は「また始まった」と呟いて、いかにもやれやれといった具合に小さな肩をすくめるのだけれど。気にしない気にしない。
それにしても、息子は一体どこでそんな日本語のセリフを覚えたのだろう?と、背中を向けながら思わず笑ってしまいそうになるけれど、目下写真撮影に忙しいママンはそんな事は敢えて聞かない。気にしない気にしない。
お決まりのボックス型の小さい皮のバッグを肩からたすき掛けして、そこから携帯電話を取り出し、パシャリとバラの写真を撮ってはバッグにしまい、またしばらく歩いては今度は藤の前で立ち止まり、パシャリと撮ってはまたバッグに収める。そんな具合に道草の繰り返しだから、買い物の道中はどうしたって長くなる。ふと自分の姿が、虫カゴを肩からたすき掛けにして昆虫採集している小学生の男の子のように思えてくる。
それはなんだかシュエットな (chouette / ステキな) 発想だ。捕まえては仕舞い取っては仕舞いして、きれいなものを出来るだけたくさん採集して、私の虫籠にいっぱい収めて帰ろう。そう、蝶々を採集するように。