Ma boîte à bijoux 日々のビジュー

パリでの日々、思ったこと

Les pivoines jaunes

今日の覚書き

f:id:Mihoy:20200514080437j:image

アパルトマンの下のところで、お向かいさんのヴェロニックに会った。

この頃どう?と聞くと、ロックダウンが解除された日々は、意外にロックダウン中よりもコンプリケ (compliqué / 複雑) だという返事が返ってきた。家に篭っているうちは、息が詰まることはあっても家族と折り合いを付けてさえいればよい。ところが、ひとたび外に出るとなると、マスクだ距離だと注文は多く、感覚や危機感の度合いの違う人達と上手く気を遣い合ってやっていかなくてはならない。普段はおおらかな性格の彼女だけれど、軽いため息を付いて、「セ、コンプリケ (c'est compliqué) 」と、もう一度繰り返した。

 

なるほど。確かにそれは私も感じるところだ。

外に出られる身体的な解放感はあっても、心理的な開放感がそれに伴わない。警戒心は依然解けない。第一、解く事を許されてはいない。

人とすれ違う時などは、こちらの警戒心と先方のそれとが同じ極の磁波のように反応し合って、歩道を替えたり、迂回し合ったり。こんな日々が一体いつまで続くのだろうと誰しもが思案する。ロックダウン生活には少なくとも終止符があったけれど、その後の生活には今のところ期限がない。何を目指してどう前進すればよいものか、戸惑うのも当然のこと。

 

一昨日のミッシェル・ウェルベックの件を思い出す。ロックダウン以降の世の中は、それ以前の世の中に比べて変わっていくどころか、酷くなるだけだと言い放った流行りの作家だ。万人が注目する人だと言うのに、その呪いのような物言いにはがっかりさせられた。けれども、彼の言葉はひょっとして予防線を張っていたのかな?希望を持ったがために失望してしまわないように。彼の発言は、後ろ向きに前向きで居る方法だったのだろうか。

 

ラジオで別の著名作家とサイコテラピストが対談を行なっていた。

通常、私達は幸福感をもたらす何かを外界に求めるけれど (例えば映画館に行ったり、似合う服を買ったり、気の合う人と話したり)、外出制限期間中は自分の内側に幸せを探す恰好の時期なのだと語っていた。例えば、何も特別な物を必要としない瞑想は、その為の手段の一つであると。木々が音もなく大地から水を吸い上げるように、人ひとりひとりの内側に、人知れず幸せの泉が湧いている様子を思い浮かべた。

 

朝の散歩でフローリストの前を通りかかると、見たこともない黄色いピボワンヌ (pivoine /牡丹) が並んでいた。花びらがいっぱい。

 

桜去り 薔薇 藤 過ぎて 牡丹かな 

 

さあ、今日のその日暮らしも、おおらかに過ごそう。