Ma boîte à bijoux 日々のビジュー

パリでの日々、思ったこと

Insomnie

夜更けの呟き

 

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ベッドに入っても珍しくまんじりともしない。とうとう居間の鳩時計が3回鳴るのが聞こえてきた。暫くソファーで読書でもして睡魔を待とうと起き上がる。

昨日は一日家に居て本の片付けをしていた。外を一歩も歩かなかったし、太陽も浴びなかった。おまけに夜までお茶をがぶがぶ飲んでいたから、カフェインならぬテーインの覚醒作用が効いているのだろう。

 

眠れないついでに、東京の父の事を想った。この頃よく眠れないと言う。睡眠薬を処方してもらって飲み始めたと言うから、少なからず心配している。

つくづく、私は大変な親不孝をしているんだろうなと思う。一人娘として大事に育ててもらったというのに、そんな父をこんなに遠くに1人きりにしているのだから。

 

息子が生まれてから私は色々と価値観が変わったもので、現代の先進国の核家族生活というのは、なんて不便で面倒くさいのだろうと思うようになった。

たくさんの人の手によって子供を育てたいと願っても、そのためには旅行が必要だったり、お金を支払わなくてはならなかったりする。初めて子供を持って、人生の先輩に聞きたい事がたくさんあったし、若い人の手を借りたい事もたくさんあった。その度に、そんな「職業」の人達をわざわざ探さなければならなかったり、ちょっと助言をもらったり手を借りるだけでも、やっぱりお金を払わなければならなかったり。

子育てと同様に、年老いていく人達に対しても全く同じ事が言えると思う。例えばフランスは老後を1人で自立して過ごす人が多いけれど、人の世話になるまいとする心意気は立派だと思う反面、なんて寂しい現実だろうと思う。必要とあらば、養老院の生活も悪くないと聞くけれど、本来は、近くにいる者同士が自然に助け合って生きていくのが人間生活の基本ではなかったか。

すっかり横割りシステムがまかり通った社会で、例えば学校はピッタリ同じ年齢の子供同士でクラス分けされて、養老院には高齢者が集中するけれど、年齢や世代というものは常日頃からもっと混じり合って、お互いの無いところや必要なところを補い合っていくのが妥当ではないかと思う。

 

私にとっての理想は、小さな村の生活だ。パッと頭に浮かぶのは、例えば宮崎駿のナウシカの村の人たちのような生活。長老のお婆さんと村の小さな子供たちが極自然に近い関係にあるような環境。

誰かの家に子供が生まれれば、村の人たちが手を貸し、目を配り、年長の子達がその子をかまったり遊んでやったり、時には周囲の大人が親に代わって叱ってやったりするだろうし、お年寄り関しても、村の人たちが支え、見守り、逆にその知恵を拝借したり、誰も彼らを1人にはしないだろう。そんな小さなコミュニティーでの生活が理想だ。

 

私に経済力があったなら、緑の豊かな田舎にお屋敷を一軒買って、そこで共同生活をするんだけれどな。息子を連れ父を呼んで、シングルマザーの友達や、自然体験が必要な子供達や、知人友人親戚の有志を集って、大家族を構成するんだけれど。

 

行きたい時に簡単に日本に飛んでいけない時代が来ようとは、思ってもみなかった。これで通算2度目のパリで過ごす7月。

ちょっと遠くに来すぎてしまったかなと時々思う。どうやってこの親不孝を挽回できるかなと時々考える。

 

さて、東の空が白々と明けてきた。今朝はきれいな晴れ空だ。