Ma boîte à bijoux 日々のビジュー

パリでの日々、思ったこと

Pompéi à Paris

息子を連れてポンペイ展へ。

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西暦79年に火山灰に埋もれたこの古代都市の発掘は、実は今だに続けられていて、最近また新たなる発見があったのだとか。例えば、噴火が起こったのは8月とみなされていたが、実は10月であったらしいことが最近明らかになった。当時のポンペイの住人が壁に書き残した日付が発見されたのだ。植物の痕跡を見ても、確かに真夏というより秋のそれに近いことが分かり、裏付けになっているのだとか。

事実というものが、時を経て、そのものから遠ざかれば遠ざかるほど次第に明らかになるというのが不思議な感じだ。

惨事も悲劇も、長い時間の洗礼を受けて「歴史 (History)」の仲間入りをすると、すっかり「お話し (story)」 になってしまうのも何かしらだ。きっと、永遠に辛いことなんてこの世にあり得ないに違いない。

 

息子は、お子様用オーディオガイドに相当するタブレットをひしと掴み、ぜんぜん目線を上げようとしない。せっかく来たんだから目の前のホンモノを見たらどう?と一応提案はしてみるものの、まぁ、過去に経験した展覧会では色々あったので、今回は不満一つ言わずに無事に回れただけでも評価すべきだろうと思い直す。なにせ、ママンという生き物にとって男の子は宇宙人ですから。

 

展覧会の後は、すぐ近くのシャンゼリゼ通りまで歩いた。友人ソニアが、シャンゼリゼ店は内装が優雅だといつか勧めてくれたのを思い出し、ペールグリーンが基調の言わずと知れた老舗ティーサロンに入る。

私にとってシャンゼリゼは、いつ来てみてもとにかく落ち着かない場所だ。だから普段は滅多に来ない。「よそ者天国」のような場所だから、すでによそ者ではなくなった人間にとっては自分が部外者のように感じられて、すっかりよそ者気分になる。居心地の悪さを敢えて表現するなら、そんなところだろうか。すてきなティーサロンの窓際の席に陣取ってみても、シックでクラシカルな内装を裏切るようにチープな音楽がかかっていて、やっぱり落ち着かない。ギャルソンの接客態度は決して悪くはなかったけれど、どうせイチゲンさんばかりで情が生まれることはない というクールな諦めのようなものが彼らには初めからあるような気がしてしまう。

 

居心地が悪いと感じること、普段の調子が出ないことを、フランス語で ne pas être dans son assiette (自分の皿の上に乗っていない) と表現したりする。ギャルソンのトレーの上でカタカタ音をたてながら運ばれてきたティーカップが目の前に着地するのを見守りつつ、私がティーカップだったら、シャンゼリゼは私の受け皿ではないのだな なんて思った。