Ma boîte à bijoux 日々のビジュー

パリでの日々、思ったこと

La vaisselle

息子の皿洗い

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朝食で使った食器を洗わないと、お昼ご飯は出ない という法則を作った。

ヴァカンス中は、プチデジュネに自分で使った食器くらい片付けるべきだ と、優しく一度言っても聞かず、2度目に勧告しても耳に入らず、3度目に声を荒げても馬耳東風。クレッシェンドも全く功を奏さない。何度繰り返しても同じであるなら、苛立つだけ私のエネルギーの無駄である。さにあれば、と、新しい法則を厳かに言い渡し、2度と繰り返さないことも伝えた。

 

昼食の時間。流しには相変わらず息子が今朝使ったお皿とコップが置いてある。すまし顔で昼食をとり始めていると、音を聞き付けた息子がやってきて「ボクのごはんは?」と訊く。「ありません」と答える。一瞬泣きべそをかきそうになる。「どうしてご飯がないのか考えてみなさい」とコワイ声で伝えると、少し考えて、それから流しに行って食器を洗った。ほーら、ちゃんと聞こえてたじゃないの。

ついでに、昼食の後の食器洗いを手伝わないと、夕ご飯はどうしようかしら?と匂わせると、昼食の後、そそくさと1人で皿洗いし始めて可笑しかった。食べ物の威力は絶大だ。手伝って貰おうと思っただけで、別に1人でやらせるつもりは無かったのだけれど。

果たして、スプーンにはご飯粒がこびり付いているし、お皿も油が残ってヌルヌルしているけれど、まあ、はじめて積極的に行った皿洗いだ。今日のところは良しとしよう。

 

フランスの学校は、日本と違い、家の手伝いを奨励したりしない。学校生活においても、給食の配膳も教室の掃除も自分たちではやらない。雇われている大人達の役目なのだ。

家で掃除洗濯料理をやらせていると話したら、ちょっとした虐待だと思われそうな節さえある。床の雑巾掛けなどやらせようものなら、特にそうであろう。

 

「労働は美徳」でないのは、フランスがフランスたるところ。それは子供時代から始まっている気がする。

フランス革命時代には、楽ちんして贅を尽くしていた王族や貴族の首を徹底的に撥ねたフランス人であったけれど、それは、貧しい人達を顧みず遊び暮らす事が道徳に背くから という理由からではなく、純粋な嫉妬心からでは無かったかと時々思う。フランスの人達の憧れは、依然、「かつての王族のような働かない生活」にあるのではないかと思うのは、私だけだろうか。