Ma boîte à bijoux 日々のビジュー

パリでの日々、思ったこと

Papa asiatique

日曜の午後は、息子の友達 L君が遊びに来た。

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本当は彼のママンも一緒に来てお茶をする予定だったのが、体調が優れず来れなくなってしまった。土曜に血液検査を受けたところ、ヘモグロビン値が異常に低かったので大きな病院で再検査することになったのだとか。血液採取のせいでますますフラフラしているというので、無理せず家で休んで貰い、結局 L君のパパが我が家にデポジット&ピックアップに来た。玄関のベルが鳴った時、私は台所に居て手が空かなかったので、夫がドアを開けて出迎えた。

 

この L君のパパというのはカンボジア出身の人だ。今までにも何度かこういった機会に会っているけれど、口数が少なめで物腰の静かな、どちらかと言うとシャイなタイプの人だ。東洋の男性だなぁという感じがする。学生時代に母国の政治的な事情でこちらに渡って来たようで、今はお医者さまとしてフランスで働いている。

洗い物で濡れた手を拭って私も玄関に合流すると、奥さんの様子は大丈夫?と夫が聞いているところだった。カンボジア人パパさんは、にっこりしながら穏やかに検査の話をする。そして、「生理でも出血が多くてね」と何でもない風に付け加えた。私の夫は、このアジア人パパさんに比べると特にシャイなタイプではないが、ほんの一瞬どう合いの手を入れてよいものか戸惑う間が感じられた。特に親しい仲でもなく、玄関の立ち話で奥さんの生理の話がサラッと普通に出るあたり、ドクターの職業柄だなと思った。彼の極めて慎ましやかなキャラクターに似合わず、それに対する夫の僅かな反応に心の内が手に取るように読めた事も併せて、なんだか可笑しかった。

検査結果は大騒ぎするほどではないようだけれど、やはり気にかかる事ではある。それを、さすがにニコニコという訳ではないけれど、いわばアルカイックスマイルを浮かべて報告する彼の姿にアジアを見た。西洋の人間は、この手の話をしながらこの種の笑みを浮かべたりはしない。東洋の人間には、私自身も含めて、そういう事が往々にしてあり得る。この違いは一体どこから来るのだろう?と時々考えるけれど、私の中で納得のいく答えらしきものがまだ見付からない。

 

これに関しては、遡って思い出す事が3つある。

ひとつは、私が高校生だった頃。

ある朝、登校時のギュウギュウの満員電車の中で、朝からアルコールの匂いのプンプンする男性が、何やらブツブツ呟いたり時々叫んだりして同じ車両の乗客達を閉口させていた。私の隣には同じ高校に通うシホちゃんがいた。シホちゃんがため息を付いたので、私がその意を介し、笑って「まったく、ね」と言うと、彼女は顔を上げ、真顔でマジマジとこちらの顔を見て言った。「何か面白いの?」逆に私がびっくりしてしまった。非難している訳ではないが、全く理解できないというトーンだった。そう言われてみると、確かにちっとも面白い状況ではない。それなのに何故私の顔は無意識に笑みを浮かべているのか?シホちゃんは眉間を寄せ、その状況に似合った、いかにも不快そうな面持ちをしている。言葉短かに問い質された私は、しどろもどろになって、それ以上何にも言えなくなってしまった。我ながら、どうして私はにっこりしていたのだろう?

 

2つ目は、パリに来たばかりの頃。

その年の年末にフランスでは記録的な嵐があった。木々がなぎ倒されたり、地方の村が浸水したり、様々な惨事を巻き起こした。テレビのニュースでは、家が水浸しになって困り果てた人々の様子が映し出される。いかにも悲痛な表情を浮かべた人たち、眉間に深いシワを寄せた人たちが彼らの置かれた状況を訴えていた。同じ頃、アジアのどこだったかの国が、原因は忘れてしまったけれど、やはり自然災害でもっとシリアスな惨事に見舞われていた。ともすると人の命まで奪われてしまうような状況だ。ブラウン管には家を失った人が映し出され、ジャーナリストのインタビューに答える。その東洋の人の表情を見てハッとした。そう、口元にあの独特の笑みを浮かべているのだ。辛い体験を語りながら。

 

そして3つめは、ナタリーの思い出。

ソルボンヌ時代の親友ナタリーは、修学後、祖国イスラエルに帰ってしまった。彼女が久々にパリに戻って来て再会したのは、確か私が母を亡くした翌年だったと思う。会わなかった間にあった事をお互いに話して花を咲かせ、その後、私は母のことを報告するのに涙が出て言葉が詰まってしまった。「突然だったから心の準備が全然できていなかった」のだと話すと、ナタリーは泣き止むまでハグをして慰めてくれた。泣き止んでようやく彼女の顔を見ると、ずっとさっきから優しく微笑んでいたのが分かった。「突然ではなくったって、心の準備なんて全然できないものよ。」ナタリーは、私が母を失ったよりずっと以前に彼女のお父さんを亡くしている。長年患っていた重い病が原因だった。日本の人とは、なぜかいつも不思議と気が合うのだと言っていたナタリー。悲しい事を受け止めるのに、彼女の口元に自然に浮かんだ優しい微笑みに、「不思議に気が合う」理由が分かったような気がした。

 

 

息子の友達 L君は、まだあどけない表情に、フランス人が言うところの「アーモンド型の」切れ長の目がかわいらしい。この先どんな大人になるのかな。パパに似たアルカイックスマイルを浮かべる、アジアチックにしてエキゾチックな人になるのかな。それとも、生粋のフランス仕込みの表情をした男性になるのかな。我が家の息子の場合は、父親譲りの性格だから、きっと後者だろうなという気がしているけれど。