Ma boîte à bijoux 日々のビジュー

パリでの日々、思ったこと

Fleur de citrouille

お寺の和尚さんではありませんが、カボチャの種を播きました。

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確か6月あたりのことでした。

8月の3週間のヴァカンスから戻ると、堂々とした芽が出て、うちわのような大きなまぁるい葉っぱが付いていました。

そして昨日の朝、縁がヒラヒラした薄い玉子焼きのような黄色い花が咲きました。ひとつだけですが、微笑ましく鮮やかです。目が覚める思いでした。

 

インゲン豆も成長が早く、生命力が旺盛で、さすが「ジャックと豆の木」のキャスティングに抜擢されるだけのことはあります。我が家の蔓はとても天には届かず、ひょろりと一つだけ芽を出して背丈も低いのですが。それでもいつの間にか、小人の靴下がぶら下がっているような具合に実を付けて、今日はめでたくインゲンを収穫しました。と言ってもほんの3本だけ。そのうち、八百屋さんで売っているような立派なのはたった一鞘だけですが。お昼ご飯にミネストローネを作ったので、細かく刻んで入れました。ほんの隠し味くらいの存在感でしたが、いつも作るのよりも美味しく頂きました。

 

過ぎ去りし春のロックダウン中、外側に行かなくなった視線が内側に向き、台所で野菜果物の内側にたくさんのタネを見つけては、自然はなんて気前がいいのだと今更のように感動したのですが、それを全て撒いてみても有り余るほどのご褒美が実る訳ではありません。同じ実から出たタネを同じ場所に同じように撒いてみても、すべては芽を出さず、決して同じようには育ちません。(人間の子供たちも同じことなのだと思ったりします。) 収穫となると、そのまた半分くらいです。自然はケチなのかと言えばそうではなく、健康の秘訣は腹八分目とよく聞くように、うまくそういう具合にできているのでしょう。足りないくらいがちょうどいいのかも知れません。

 

バルコニーに芽が一対出る度に、花が一輪咲く度に、実がひとつなる度に、嬉々としてしまいます。毎朝覗くのが私の日課、小さな朝のお楽しみです。