Ma boîte à bijoux 日々のビジュー

パリでの日々、思ったこと

Les écumes du jour

過ぎたばかりの日曜の昼のこと。

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クラムボンは笑ったよ

 

夫が台所で、大きな鍋に二匹の蟹を茹でている。Tourteau (トゥート) という名前の大き過ぎず小さ過ぎずの蟹で、辞書によると、日本語ではイチョウガニと呼ぶらしい。二匹は頭と頭を付き合わせ、鍋の底で内緒話し。水面には泡がぷくぷく浮かぶ。

「おいら達、この後セロリの根っこと玉ねぎと一緒に料理されるらしいぜ」「セロリの根っこって何だ?」「おいらも知らね」

 

クラムボンはかぷかぷ笑ったよ

 

冷蔵庫から取り出した二匹の蟹はまだ辛うじて生きていて、寒さでかじかんだ手足(?)を伸ばしてやると僅かに動いた。鍋を火にかけて湯を沸かしている夫の前で、ハサミの付いたバルタン星人みたいな腕を振って見せ、「ダンナ、お風呂の湯加減はちょうどよく頼みますぜ」と蟹に喋らせると夫は苦笑していた。「湯加減だって?相当熱いぞ。」「だったらいっそ、地獄の釜みたいにグラグラにして一気に頼みますよ。中途半端はイヤですからね。」蟹が「ダンナ」の顔を覗き込むと、夫は分かった分かったと頷いた。そして、二匹の蟹はぼとんぼとんと鍋の中に飛び込んだ。

 

夫の料理はあくまで時間を気にしない料理だ。台所が汚れるとか、遠くまで行かないと素材が手に入らないとか、そういった事も気にしない。時間のかかる下ごしらえがある時は、台所からまな板や包丁やボールをごっそり抱えて居間のテレビやパソコンの前に引っ越す。そこで退屈凌ぎに目は画面に向けながら座って作業する。既に作ったことのある料理でも、毎回インターネットでレシピを検索して逐一チェックしながら作る。だから味や仕上がりに安定性がある。今日は大工道具の大きなペンチを取り出して、湯上りの蟹の甲羅と格闘するのだ。時々の夫の料理はイベント性がある。

 

そんな夫の横で私はと言えば、今日も、せっせと刻んだ紫キャベツ、黄色いトウモロコシ、赤いラディッシュの輪切り、緑のシブレットのみじん切りをサラダボールに放り込んで、なんてきれいな色合わせだと悦にいっている。切って載せるだけの料理。一度気に入ると、飽きるまでしばらく同じ物ばかり繰り返し作るタイプだ。逆に飽和状態に達するとパタリと止む。来客がある時でさえ、だいたいが見よう見真似か適当に発明する料理で危険な橋を渡る。レシピを見ながら作ることは3年に一度あるかないかの程度。レシピを見ても従わないことだってある。味もその日の気分次第。

 

そろそろお昼ご飯の時間だけれど、夫の蟹料理は昼食にはありつけそうにない。それならばと、今日もオーブンからおもむろに夏野菜の重ね焼きを取り出すと、夫は半分呆れたような顔で「また?」。重ねる作業が楽しくてクセになり、暑さが戻ってきたこともあって、この頃頻繁に作っている。結果に重きを置く彼と、工程を楽しみたい私。毎日違うものが食べたい夫と、しばらく同じものが食べたい私。同じ料理でも、性格や目的がかなり違うところが面白い。

 

夜の食卓に出た蟹の冷製はとても美味しかった。