Ma boîte à bijoux 日々のビジュー

パリでの日々、思ったこと

Aujourd’hui

久々に家で1人きりの時間ができた。

 

f:id:Mihoy:20201115073622j:image

 

お昼を用意する必要もないので、時間のかかる家の仕事を一気に片付けることにする。居間の植木が育ってだいぶ大きくなったので、すべて鉢を替えてやる。クロトン、ベンジャミン、パキラ、バオバブ。それから、洗濯洗剤が切れたので、隣人ヴェロニックに触発されて始めた自家製エコ洗剤をたっぷり3リットル作る。マルセイユ石鹸を削ったもの (カツオ節に似ている) を溶かして使う。分量や溶かし方にはコツがあるけれど、ヴェロニックにしっかり伝授してもらったので今ではすっかりお手のものだ。家中の窓を開け、寝具を勢いよく剥がして回り、リネンを集め、すべて洗濯する。そこまで一通り済んだところで電話が鳴った。夫が大事な書類を家に忘れたので届けてくれないかと言う。急ぎであったので、書類を掴んですぐタクシーで向かった。少し心臓がドキドキする。

 

気掛かりなことや心配事がある時に、人に話すことで気が晴れる人もいれば、黙っているほうを好む人もいる。後者の場合、相手に心配させたくないから という理由もあれば、話すと問題が拡散してますます大きくなる気がする という人もいるだろう。強くあれと思うばかりに弱音を吐きたがらない人もある。これは男性に多い。聞いて欲しがっている人にはちゃんと話を聞いてあげなくてはならないけれど、そうでない人に胸の内を表にせよと言っても、スッキリするどころか逆効果になってしまう。

 

我が家の息子は、学校から帰ってきてもその日の出来事をほとんど話してくれない。「話してくれない」と言うのは私が聞きたがっているからであって、話したがらない人と聞きたがる人の組み合わせといったら、日々とってもアンバランスなのだ。夕食の時間は一問一答の質問アワー、あるいは尋問タイムとなる。息子はウイウイノンノンと首を縦と横に振るだけ。そんな風に節約して、貯め込んだ言葉は一体いつどこで使うつもりなんだろう?と思ってしまうけれど、実はさっぱり貯まっている様子もないのである。

 

そう、息子の性格はパパ譲りなのだ。今朝の夫にはちょっとした心配事があった。政治や社会問題となると白熱して雄弁になる彼だけれど、自分の事となると途端に言うべき言葉を見失ってしまう人だ。今回の心配事の件も、昨夜から様子を見て時々探りを入れてみるけれど、必要最小限の情報が得られるだけで、それ以上話を展開する気はさらさら無いらしい。どのように感じているのかは察するより他はない。うまく表現できないのではなく、もともと話すつもりがないのだ。見ていると、隙間の時間をラジオやニュースや他の諸々の事柄でせっせと埋めている印象がある。不安が隙間から入り込まないようにしているのだろう。気にかかる事がある時は、それと向き合う時間をなるべく回避、あるいは最小限に留めて、なるべく忘れて過ごしているうちに消えてしまうのを待つ というのが彼独特のスタンスだ。

それとは逆に、何につけても速度の遅い私は、引っ掛かる事があるといちいち止まって考え込んでしまう質だ。他の事が手に付かなくなる。心配事をどうにか料理できない限りなかなか次に移行できない。

 

ここ数日の夫の姿を観察していて、彼のようなやり過ごし方も、人によって向き不向きはともかく、確かに一理あるなと思った。人生は例え少しくらいの不安があっても、困難があっても、構わず、止まらず、ひたすら keep going なのだ。喜ばしくない感情に心を占拠され、足を取られている時間が惜しい という訳だ。事あるごとに足を取られ、時間を取られてばかりいるのが、まさに私だ。

 

タクシーを降り、指示された受付のマダムに書類をデポジットする。夫の姿は見当たらない。届けた旨のSMSを送り、踵を返す。と、携帯がチーンと鳴って merci のメッセージが返ってきた。心配事に関してはもちろんおくびにも出さない。行間どころか、空白を読むしかない。

 

その数時間後、ようやくかかってきた電話越しの夫の声は明るかった。気にかけていた事はどうやら杞憂に終わったようだ。こちらもホッと息をつく。

気が付くと、もう夕方だった。

 

今日は私が初めてフランスの地に足を降した記念日だ。去年の今日から今年の今日まで、一年がまたあっという間に過ぎた。今日という1日は、もっとあっという間だ。思ったようにやるべき事がきちんと終わらないうちに1日が過ぎ、一年が過ぎ、年月が過ぎる。いつもこんな調子。それとも、やるべき事が終わらないのは生きている証拠だろうか?

 

今日という記念日に際し、ひとつ決め事をしようと思う。

この日々の記録とは別の形の書き物をしてみようと思っている。自己満足に過ぎなくても、まったくの駄作でも、形にさえなっていればそれで良しとしたい。少し忙しくなりそうだ。ここに書き留めておきたい事は日々たくさんあるのだけれど、それに反して使える時間が少ない。だから、決め事と引き換えに、この記録は春までしばらく冬眠に入るだろう。3月1日の母の誕生日にまた再開 (気にかけて読んでくださっていた方々には「再会」) できればと思っている。

 

2020年11月14日

渡仏記念日に

風の強い秋の夜更けの居間のソファーにて