Ma boîte à bijoux 日々のビジュー

パリでの日々、思ったこと

Confiture de Nostradamus

ジャムとノストラダムス

 

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今日、ふとしたきっかけから知ったこと。

神秘のベールに包まれたあのノストラダムスが、かわいらしくも、なんとジャムに関する書籍を記していたこと。占星術師だとばかり思っていたら、お医者様でもあったこと。名前の印象から、勝手にイタリア人だと思っていたら、実はフランス人であったこと。その名は、ノートルダムのラテン語読みであったこと。

 

夕食の席で夫に、「ノストラダムスがフランス人だったなんて知らなかった」と話すと、お皿の上のロケットのサラダをナイフとフォークで切り刻みながら (夫はいつもこの長い葉っぱをこうやって切って食べる)「キ?(誰?)」と聞き返す。

ご当地流には、ノストラダミュスと発音するらしい。一緒にテーブルを囲んでいた息子が、すかさず私の発音を修正する。夫は、「ああ、彼ね」と答えてから、そうだよ、モンペリエの医学学校を出てるよ と、まるで親戚のミッシェルはどこそこの大学を卒業したよ とでも言う具合に軽い調子でのたまう。何か続きの話が出るかと待ってみたけれど、彼は「ノストラダミュス」にはこれといった関心がないらしく、この話題はここでぷっつりと途切れた。

歴史は好きな人だけれど、それが少しでも神秘界的な色を帯びそうになると、おもしろいことに、警戒心から一気に興味を失う彼なのだ。

 

あれは確か私が小学生の頃、「ノストラダムスの大予言」がなぜか大流行りした年があった。その名のエキゾチックな響きや、預言者という、神秘的ながらも半ばいかがわしい肩書き(?)に、幼心にも古のオカルト的な世界観をあれこれ想像したものだった。

その彼が実は医者であったというのは意外だけれど、きっと科学とスピリチュアルが同等に扱われていた時代なのだろう。それから時は過ぎて、今は科学とスピリチュアルがすっかり切り離され、対局に置かれるような時代になったけれど、正しいのは果たしてどちらなのだろうか。これから先、この2つはまた合流しようとしているのかも知れない と思ったりする。

 

小学生の当時、ノストラダムスがカバラという数秘学に縁があったらしいことをどこかで知った。その手の本を調べて、自分の誕生日の数が特大パワーを持っているとの記述に当たって胸を躍らせたのを覚えている。彼が預言者かどうかは知らないけれど、いい事を言われたのだから信じよう と思ったものだ。ノストラダムスにはきっと本物の超能力があって、なにかしら重要な鍵を握っている人物に違いないと、褒められた代わりに褒め返すような具合に彼のことを評価したものだ。

そんな訳で、フランス人だったことも今日まで知らなかったくせに、私にとってノストラダムスはちょっとした思い入れのある人物なのだ。

 

ジャムの作り方に関する記述を残していたのは、いわゆる料理本を残そうとした訳ではなく、食品の保存に関する当時最先端の情報と技術を、医学的な立場から広めようとしたに過ぎない。

それでも、ノストラダムスが苺ジャムの鍋などを掻き回し、ときどき指を突っ込んで味見をしては、思わず形相を崩している姿が勝手に脳裏に浮かんできて、思わずニヤッとしてしまうのだ。ひょっとしたら、ジャムも薬だったのかも知れない。機嫌を良くする薬。

 

水曜日に足を運んだばかりのレアール広場に、カトリーヌ・ド・メディチがお抱えの占星術師たちのために造らせたという天文塔があるらしい。水曜日に、私はちょうどその前を知らずに通り過ぎている。記録は特に残されていないそうだけれど、ノストラダムスがその塔に登った可能性は極めて高そうだ。もう一度改めて訪れてみようと思った。足跡を辿れば、彼の幻影に出会えるだろうか。それにしても、数百年前のものがあちこちに残されているパリは、やはり特別な街だなと思う。