夜更けの浴室にロウソクを灯すのが習慣になったのはいつからだったかしら。
確か去年の夏の終わりからだ。最近の話なのだ。
夏休みにマルセイユで借りた見知らぬ女性のアパルトマン。そのバスルームの浴槽の脇には、どっしりと大きなキャンドルがさも当たり前のようにランプがわりに据えてあった。溶けて流れ出した蝋でタイルの上に固定されて、まるで灯台のような様だった。きっといつもこれを灯してバスタブに浸かって読書したり、ヤスリを器用に使って鼻うた歌いながら爪を磨いたりするんだろうなと思ったら真似してみたくなった。
そう、それ以来である。
私の場合は小さなロウソクを何本も灯す。祈る人のような敬虔な気分になる。ハイビスカスとローズヒップのお茶も淹れる。一杯のマグカップに南国の花と北の花の香りが溶け合って贅沢だ。
いつか友人に薦められて読んだ北欧の幸せ探しの本には、ロウソクの明かりは彼の地の人達にとっての幸せ作りに欠かせないのだとあった。そう言えば、雪の日のマッチ売りの少女は、その小さな炎の中に色鮮やかな夢模様を垣間見たのだっけ。
幸せというのは、実は暗闇があってこそなのかも知れないなとふと思う。闇あっての光。
蝋の真ん中の小さな溜まり池の、そのまた真ん中で芯がゆっくり燃えてゆく音は、不思議とただの静寂よりも更に静かだ。