フランス語で椿は Camélia (カメリア)
蕾は bouton (ブトン) と呼ぶ。
ブトンとは、服に付けるボタンのことも指す。
花々の蕾のなかでも、私はこの「椿のボタン」が特に好きだ。大粒のルビーのごとくぎゅっと硬く、形よく丸く、鞠のように愛らしいブトン・ド・カメリア。十二単衣に身を包み、軽く突き出し気味の唇に紅をさした幼い姫君のような姿。椿はヨーロッパに咲いても毅然として和の佇まいなのだ。
春を先行してパリに咲く花々は、日本を思わせるものが多い。椿、サクラ、レンギョウ、石楠花、山吹。よく通る道沿いの生垣には、朱色や桃色の木瓜(ぼけ) の花が今見事に咲いている。もうしばらく待てば、やがて花々の中でも別格のピヴォワンヌ ( pivoine 牡丹) の季節を迎える。
日本人が愛でる花は、咲き誇る姿の美しさのみならず、その最期に特長がある気がする。
花の形のまま地面にぽとりとコウベを落とす椿。熟したくだもののように地面に転がっている花々に、私達は退廃の美を見る。もっとも、古の将軍家の庭では、首ごと落ちる椿は縁起が悪いと敬遠されていたと聞くけれど。
枯れずにはらはら散り去るサクラ。老いた姿を決して見せない。明日あれと思う心の仇桜。儚い夢に似ている。
朝方、公園を横切ると、モクレンの木にたくさん付いた蕾がコートを脱ぎ捨てて紅紫色の姿を現していた。大きく枝を広げた木はまるで燭台のよう、上を向いた細長い蕾がロウソクの炎のように見えた。
人間の私達のほうは、寒の戻りで厚手のコートがまだ手放せない。冬と春の間を行きつ戻りつするこの頃だ。