Ma boîte à bijoux 日々のビジュー

パリでの日々、思ったこと

Aujourd’hui, hier, avant-hier

最近のあれこれ

 

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朝、息子を学校に送った後の小さなお楽しみは、その横にある小さな本屋のショーウィンドウを覗くこと。今日は世界各地の女性作家の本が色々と飾ってあった。

それから家までてくてく歩く。ちょうど良い散歩になる。

途中に2件あるフローリストの前を通るのもささやかな楽しみのひとつ。歩道に並べられた花々を愛でる。見事なローズのブーケとか、季節外れになり始めたシクラメンとか。今日はピンク色の小さな花を付けたヒースの鉢も置いてあった。エミリー・ブロンテの「嵐が丘」で風に吹かれていたのはこの花かしらん と思いながら通り過ぎる。

 

もう少し家に近付いたところで、いつも昼ごはん用のバゲッドを一本買う。ついでに時々アブリコ (abricot) のタルトなども買ってしまう。店内で並んで待っている間にどうしても目に入るお菓子たちが、ガラス越しに誘惑してくるからいけないのだ。ガラスケースに沿って細長い店内のレジまでの道のりは、名付けて誘惑街道。こうなったらもうテイクアウトのエスプレッソも一杯頼み、小脇にバゲット、右手にタルト、左手にカフェのいでたちでブーランジェリーを出る。

 

更に少し歩いた所の教会の横にベンチがあるので、そこに座って今朝はプチ・デジュネ (朝ごはん) と決め込んだ。3月とはいえまだ寒いけれど、日向に座るとうららかで心地良い。もうすでに冬ではないけれど、だからといってまだ春でもない。この頃はそんな中ぶらりんの陽気だ。少しくらいベンチに座っていても凍えはしない。カフェやレストランは相変わらず閉まっている。再開の目処も立ってはいない。みんな家賃をどう工面するのだろうと心配だ。

 

さて、このアブリコのタルトというのは、円盤状の薄いパイ生地の上に、オレンジ色の肉厚なアプリコットが艶やかにたっぷりと横たわった魅力的なパティスリー。これは私にとっていわゆるシガレットのようなもので、なかなか辞められない。ついつい手が出てしまう。お砂糖の誘惑。甘美な軽いドラッグのようなもの。

 

おとといの3月10日はボリス・ヴィアンのバースデーだった。もちろん、とっくに他界している彼はもう歳を取らない。日本にいた頃、私がフランスに熱を上げた引き金の一つはヴィアンだった。サンジェルマン・デ・プレの奇才。早世の人。自分の命が長持ちしない事を初めから知っていた彼の目に、世界はどん風に映っていたのだろう?30代半ばでもう老いを感じていたと聞く。あれだけ多方面に才覚を見せたのだから、当たり前なのかも知れない。見るからにせっかちな印象があるけれど、生き急ぐとはこの事か。時間の流れは普遍的ではなく、明らかに個人差があるのだと思う。

 

その翌日、つまり昨日3月11日は、保護者面談のため学校に向かう車中のラジオから、不意にFukushima の響きが耳に飛び込んできた。あれからもう10年。彼の地の傷跡がまだ癒えない事を思えば、あれからまだ10年。それにしても、祖国ながら、地震の多い国が原子力発電所を幾つも抱えているというのは、一体どういう訳なんだろう。

息子が冬休み中に宮崎駿のナウシカを観た。汚された森が長い長い時間をかけて人間のもたらした影響の後始末をしていくところや、登場人物達のマスク姿が、今実際に目の前にしている現実と重なって見えた。

 

そして今日12日は午後になって学校より連絡が入り、息子のクラスが月曜いっぱいまで急に閉鎖になった。一生徒のご家族に新種の感染者が見つかったとのこと。せっかく今朝は穏やかな1日のスタートを切ったというのに、やれやれだ。

 

週末はずっと雨模様になりそうだけれど、どうせステイホームなので構わない。友人アデルとピエールのカップルに、アデルによる「ピアノ演奏付きおやつの会」のお茶目な誘いを受けるけれど、またまた見送ることとなった。これで2度目。

まあ、気長にいこう。