Ma boîte à bijoux 日々のビジュー

パリでの日々、思ったこと

Le principe

たまには、出来ないこと、しないことで自慢する何かがあってもいいと思う。

 

f:id:Mihoy:20210321075132j:image

 

私はコーヒーを自分で淹れないことにしていた。

これは一つの立派な(?)決断で、主義みたいなものだ。それ以外のものは、殆どなんでも自分で作ったり挑戦したりサーブしたりするけれど、コーヒーだけは誰かにいれてもらうことにしていたのだ。すっかり「何でも屋」になっているこの頃、ただの器用貧乏には成り下がらないゾというある種の心意気みたいなものであった。自分に課した小さな贅沢でもあった。家族の必要や状況に応じて常に臨機応変に対応する柔軟さがシュフというものには求められるけれど、譲らない点が一点だけあってもいいではないか。私がコーヒーを淹れなくったって誰にも迷惑はかからない。コーヒーだけは私にとって「誰かにサーブして貰うもの」と決めていて、それは仲の良い友人達も周知の事だった。

 

ただ困ってしまうのは、このパンデミック騒ぎの煽りで現在フランス中のカフェが閉鎖されていることだ。かれこれもう数ヶ月にもなるけれど、再開の見込みさえ立っていない。エスプレッソが飲みたくなっても、今までのように近所のカフェに駆け込む訳にはいかない。なにしろ集会や会食は避けなくてはならないので、以前のように友人のところにお茶や食事に呼ばれてコーヒーを出してもらうこともない。コマッタコマッタ。

 

何を隠そう、我が家の台所には実はちゃんとでかでかとしたエスプレッソマシンがある。朝一杯のコーヒー無しには生きられない夫の必需品。四角くて大きくて場所を取る堅牢なマシンのくせに、豆をセットするハンドルのところが硬くて取り外し辛く(おそらくパリの硬水のカルキのせい)、その部分だけフラジールなので私は指を触れない。一度、夫がガチャガチャやってハンドルが折れてしまい、朝からマシンに向かって悪態をついていたのも目にしているから (なにせ夫にとっては死活問題) 、私は敬遠しているのだ。

 

そんな訳でコロナ騒動が始まってからというもの、めっきりコーヒーを飲むチャンスが減ってしまった。時々無性に飲みたくなる時は、どうしたものか。むむむ。

 

時々なら自分で淹れることにしてもいいかなと思い始めた矢先、買い物先で直火式のイタリアンエスプレッソメーカーを目にした。昔実家にあったのと同じ BIALETTI のもの。片腕を伸ばして人差し指を天に向け、何てったってオイラのエスプレッソが天下一さ!と自慢げにしているセニョールの絵柄が懐かしい。昔これを使ってイタリア式エスプレッソなるものを実験的に作ったっけ。散々迷った挙句、結局そのエスプレッソメーカーを買って帰った。

 

台所の4つあるガスコンロのうち、一つは直径がとても小さくて今まで全く使い道がなかったのだけれど、嬉しいことにこのエスプレッソメーカーを載せてみるとピッタリだった。まるで始めから予定していたかのように。メーカーの下段に入れた水が、火にかけると中段に仕掛けたコーヒー豆を通過して上段に吹き上がる。この仕組みが愉快で楽しいことといったら!

 

コーヒーを自分で淹れない主義は返上だ。

代わりに、何か他の「しない事」を探さなくっちゃ!