Ma boîte à bijoux 日々のビジュー

パリでの日々、思ったこと

Nuit agitée

嵐の夜に

 

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今夜は満月だそうだけれど、風雨が激しく月はかけらも見当たらない。

窓の外で冷たい風がヒューヒュー音をたて、天気予報はこの先しばらく雨模様。夕食の席ではセーター姿の夫が「とうとう間違いなく秋だな」と誰に向けるでもなく宣言し、カラカラに乾いた夏の後に続いた妙に暖かい10月が終わろうとしている。

 

昼間、書棚の整理をした。

まだ読んでいない絵本が数冊出てきたので、夜になってお茶を啜りながらソファーでページをめくってみる。フランス語と日本語のを一冊づつ。

 

ある日、男の子がドアを開けると、そこにはペンギンが立っていました という具合に物語が始まったり、物言わぬロウソクが語り手になってみたり、改めて子供の本はまったく自由でいいなと思う。

どうしてそんなところにペンギンがいたのか、男の子は何と言う名前なのか、どこの国のお話なのか、そんな野暮な説明は一切ない。何が起こっても不思議はないのだ。

 

ところで、

どんな風の吹き回しか、何の弾みなのか、人知らず付けていたはずのこの記録が、急に知らない方々の目に触れて驚いている。公開記録を付けているのだから、そうあって当然のことと言えばそれまでだけれど、実は全く想定していなかった。自分用の備忘録であるのと、片手の指で数えられるくらい極狭い範囲の知人に近況報告になる程度を意識していた。

興味を持ってくださった方々に感謝。その反面、少し恥ずかしくもあり、一体読むに値するものだろうか?と自問したりしている。

 

いかんせん、書き記すという行為は、例え当初は自分だけのためであっても、いつかは誰かの目に触れる可能性を秘めているのだろう。

関係を持った夥しい数の女性に関する記録をこっそりメモしていたヴィクトル・ユゴーとか、待ち受ける悲劇を知らずに日々の思いを日記に託していたアンネ・フランクとか、彼らはいつか公衆の目に触れることをどこかで意識しながら記録を残していたのだろうか?

地面を叩きつける激しい雨音を聞きながら、そんな事を思った。

 

もうすぐハロウィン。

雨降りの日々、秋休み中の息子と、オスカーワイルドのオバケの本でも読んでみようかしら。それも書棚から出てきた未読の一冊だ。