夏至の日
フランスは音楽祭の日。
夕食の後、音楽を求めてふらりと外へ。せっかく今日から堂々と夏入りしたというのに、風は涼しく雲行きが怪しい。どうせ明日も息子の学校があって早起きなので、ほんの小一時間だけ散歩することにした。
ちょっとした広場に出ると、ちょっとした群衆の前でちょっとしたコンサートをやっていた。聞いたことのないロックミュージック。セミプロのバンドかな?
ようやくここまで日常が戻ってきたのは朗報だ。もちろん、以前の世界に比べると、まだまだずっと大人しいのは確かだけれど。
今宵の街のカフェは大盛況で、閉鎖されていた数ヶ月分の憂さを晴らすべく、テラスに鈴なりのお客達が賑やかなことこの上ない。
私達も2軒目のカフェテラスに空いたテーブルを見付け、腰を落ち着けた。オランジーナで喉を潤す。雲行きはますます怪しい。
控えめにもパリに日常が戻りつつある。ウイルス渦だなんて、あれは一体なんだったんだろう?悪い夢を見ただけなのか?と思える日が、近い未来に来るのだろうか?
結局私たちの周りでは、幸運なことに大した被害を被るケースは一件も無かった。そういう意味では、世界が短期間に驚くほど様相を変えてしまった一方、私の身の回りは実は何も変わっていない。何も失ってはいない。そのことに感謝したい。
ペストが流行した時も、ウイルスというのはどこからともなく、なんの前触れも、それらしき理由も無しにやって来て、長期間に渡る大騒動を引き起こした後、また同じようになんの前触れもなく、どこに消えるともなく去っていったと聞く。息子の歯列矯正医のマダム・フーニエは、ウイルスは弱者を一掃する為に現れるのだと言っていた。ごもっともだ。いわゆる妥当な自然の摂理のひとつという訳だ。
ふと、戦争も弱者を排除するという意味で、悲しいかな人間という動物に組み込まれた自然の摂理なのかもしれないと思ったりした。幸福な時代に生まれた私たちは戦争を経験していない。そこでウイルスが世の中を覗き込んで、ちょっとここらで一度一掃しておきますか と、勝手にしゃしゃり出てしまったのかも知れない。
要は弱者にならぬよう、日頃から健やかな体作りに努めるべきなのだろう。私もマダム・フーニエも取り敢えず充分な基礎体力があると自負しているので、ワクチンを受けるつもりは今のところ無い。ウイルスよりも、むしろワクチンの副作用が体に及ぼす影響のほうを懸念している。だからと言って、ワクチンを摂取する人達に対して一線を引くつもりも無い。年配の方々をはじめ、なんとか日常を取り戻したいと思う人達の気持ちはとてもよく分かる。各自がどちらのリスクを取るか という選択の問題なのだと思う。
逆に、少数派の私達が社会から一線を引かれて、自由を制限されることが今後なければいいけれど。
メテオの予報通り、21時を過ぎた頃にいよいよ空は重たくなり、急に強風も吹いて音楽祭の聴衆を蹴散らした。私たちも早々に引き上げることにした。
夏入りした途端に気温は下がって、この先しばらく肌寒い日が続きそうな気配。相変わらずあまのじゃくなパリの天気だ。