マジックハンド、マジックアイ、テレパシー
パリは菩提樹の黄色い花がむせるように香る季節。
息子が度々お世話になった耳鼻科のドクターが引退なさると聞いたので、近くに用事があったついでに花を持って会いに行った。選んだのは小ぶりの蘭の鉢植え。白にしようかピンクにしようか迷い、息子に「マダム・マータはどっちが好きそう?」と聞くと、ピンクを指差したのでそちらにした。
マダム・マータは、杖をつき、片足を少し引きずるようにして歩く。大柄でふくよかな体に、キュッと小さく引き締まった顔で、典型的なヨーロピアン体型。真っ黒に染めた髪は肩まで伸ばしている。若い頃は相当な美人であったに違いない。今でも、黒いまつ毛に縁取られた目元がきりりと美しい。情け深く温かな人柄で、診察は一人一人にじっくり時間をかける。ただ優しいばかりではなく、時々ピリリと辛口の、口の片隅で笑ってしまうような冗談を飛ばしたりもする。
口ベタな息子が、「これ、どうぞ」と言葉短に蘭を手渡すと、Oh ! ジャドール!(大好き)と、嬉しそうに目を細めた。今までのお礼にメルシーマダムでしょ!と陰で突っつく私。気の利かない息子だ。道すがら予行練習させておけば良かった。そんな親子の様子をマダム・マータは可笑しそうに笑って眺めていた。
人を癒す職に就いている人は、植物を育てるのも上手なものよ とマダムは語る。「人も植物も同じと言ったら、植物人間みたいでちょっと語弊があるけれど (と言って声高に笑い)、生き物を育てたり治したりするのに向いている「手」というのがあるのね。私もそういう手を持っているから医者になったのよ。」
なるほどと思った。そうか、このドクターの診察が温かく感じられたのは、そんなハートの宿った「手」を持っている人だからなのだと、今更のように納得した。頭や紙で処方箋を出すのではなく、癒す「手」で人に接する本物のドクターなのだ。
引退というのは長いヴァカンスに同じ。メルシーをたっぷり、それから、ボン・ヴァカンス マダム!と告げて、惜しみ惜しみ別れた。
帰りは同じ界隈のショッピングセンターに寄り、その後、ふと目に留まった近くの食材店に入った。オーガニック食品の品揃えが充実している。アルコールフリーのジンや、「マダムの飲み物」と銘打ったハーブリキュール、紫のトウモロコシ粉など、他所では見たことのない面白いものを置いている。
そう広くもない店内をじっくり見て周り、ひとつふたつ選んでレジに持って行くと、店主らしいマダムが私の手に提げていた紙袋を見て言った。「まあ、Muji (無印良品) があのショッピングセンターにも入っているの?知らなかったわ。」目立たないけれど、地下の隅っこにあるのだと教えてあげた。
マダムは、私がレジに置いたキューブ型のドライバナナの袋を見て、これはとっても美味しいわよ とウインク。珍しいものを色々置いていますね と褒め、また寄りますと言って店を出た。
しばらく歩いてからふと気がついたのだけれど、私が手にぶら下げていた紙袋は Muji の袋ではなかった。赤い UNIQLO のマークの入った袋だ。実は、夫が息子用に買ったサイズの合わない服をユニクロに返品しに行って、その帰りに Muji で購入した Tシャツを前者の袋に入れて持っていたのだ。それなのに、どうして中身が Muji だと分かったのだろう?見えもしないのに!
両方とも日本のブランドなので、マダムが言い間違えた可能性はある。しかし私は、摩訶不思議なハーブリキュールや紫のとうもろこしを常食して、六感が研ぎ澄まされたあの店のマダムが透視したに違いない と思うことにしている。
話は変わって、
我が家では天井の雨漏りに加え、最近、新品の給湯器まで水漏れし始めた。ヴァカンスが近いというのに、やれやれだ。近所の排水管工事屋に電話すると、経営者の奥さんが出た。母親業と会社の受け付け業を一手に担っている忙しいマダムで、なかなか捕まらない人だ。こちらの事情を説明していると途中で遮るように、「スケジュール帳を見て折り返します」と切り上げられてしまった。その後、3日経っても連絡は来ない。
ところが不思議なことに、電話をして以来、水漏れがピタリと止まってしまったのだ。一日に3度はバケツに溜まった水を捨てていたのに、電話して以来一滴も漏れない。さては、あのマダムが念力で止めてくれたのかしら?
連絡がないのには閉口したけれど、出張費で130ユーロ取られるよりも、遠隔操作で修理してもらう方がよっぽど有難いというもの。これはすなわち、めでたしめでたしのハッピーエンド?
世の中には有能な女性達が大勢いるものだ。