Ma boîte à bijoux 日々のビジュー

パリでの日々、思ったこと

Canicule dans le Sud

カニキュル


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南仏は今日から猛暑 (canicule) を迎える。1週間ほどこの調子が続きそうだ。私達の滞在する家は比較的涼しい山側にあるので、最高気温は34度に留まるけれど、場所によっては40度に達するらしい。

 

昔、留学中にはじめてパリの猛暑を経験した夏、東京の両親に絵葉書を出した。カニキュルという言葉は、「蟹、来る」に発音が似て、真っ赤に茹で上がって怒った無数の蟹が、ワラワラ (voilà voilà) と攻めてくるような印象だと書いた。帰省した時に、母が、ラジオ教材を使ってフランス語を曲がりなりにも学び始めたこと、「カニキュルは、あなたの絵葉書のお陰で忘れないわ」と笑って話していた事を思い出す。

 

猛暑の時期、フランスの人達はどのように暑さを凌ぐのかと言うと、窓という窓を閉め切る。家中の雨戸を閉じて、表の太陽の熱気を遮れば、家の中はなんとか適当な温度に保てる。湿気の多い日本とはまるで方法が違う。元々、乾燥して日陰は過ごしやすい気候だから、クーラーなんてものは一般家庭にはまずない。もっとも、ここのところの温暖化で、そろそろ普及し始めそうな昨今であるけれど。

 

カニキュルと同時に、今日から数日、夜空に流れ星が多く現れるらしい。残された南仏での滞在は、日中は締め切った薄暗がりで読書などして過ごし、日暮れと共にやっと雨戸を開け放って天体観測の日々となりそうだ。

 

庭に自生するイチジクの木は、今年はまだ実が青い。カニキュルの強烈な太陽で一気に熟してくれないかしら?と期待したりしている。イチジクやブドウの紫は、強烈な太陽から身を守るための彼らの外套なのだから。

 

家の門を出ると、黄色く乾いた夏草に縁取られた小径が車道まで伸びていて、その左手に桑の木立がある。ここに立ち寄って甘い実を積むのが、散歩の楽しみの一つでもある。朝の散歩に出る時は「朝ごはんの木」と呼んでいる。夕方の散歩に出る時は「おやつの木」と呼んでいる。棘がいっぱいあるイバラの木に似ている。私や息子の細い腕は、枝の合間を縫って、棘を避けながら実を摘むのには都合が良い。

 

それにしても、動物と違って毛皮のない私たちは、サンダルで野道を歩いては鋭い草で足に擦り傷を作り、木の実を摘もうと腕を伸ばせば棘に引っかかれ、夕方に出掛けようものなら蚊の餌食になる。動物達の目には、無防備で間の抜けた裸の生き物に見えるだろうな と思った。

 

読書家の義母の本棚にフリーメイソンに関する古い本を見つけ、時々めくっては拾い読みしている。ちょっと興味のある分野だ。普段に比べて時間はたっぷりあるはずなのに、1人の時間がないことと、ヴァカンスモードで頭まで怠けているせいで、読書は案外捗らない。

本の中で印象に残ったフレーズを、いくつかここに覚え書きしておきたい。

 

Il n'y a pas de hasard, il n'y a que des rendez-vous 

Paul Leautaud

偶然は存在しない。全てはランデヴー (待ち合わせ) なのだ。

ポール・ロート

 

Compagnon, du latin companem "qui partage le pain"

Compagnon (仲間、相棒) という言葉は、ラテン語の companem 、つまり、「パンを分ける相手」という意味に由来する。

日本語で言うところの、「同じ窯の飯を喰う」に相当するのだと、いたく納得した。