Ma boîte à bijoux 日々のビジュー

パリでの日々、思ったこと

Absence d’anomalie

10月最初の日。

 

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今朝の気温は10度にも達しない。

トレンチコートをひっかけて、先日の診察に引き続き、今朝は数々の検査を受けに行った。ラボに赴き、ドクターの出した書類を提出して、腹部やら喉やらのエコグラフィーを撮ってもらう。

結果から言うと、どこも全く異常なし。

担当のマダムは私を前に、「どうして検査するの?どこか具合が悪いの?」と、頭のてっぺんから足の先まで眺めながら疑うような調子で尋ね、あちこち調べた後、何も見つからずにエコーの仕甲斐がないとでもいった様子で叫んだ。「なーんにも無し!」どこか不服そうな彼女の様子に苦笑しつつも、ホッと安堵の息をつく。

元気そうに見えるのは良いことだ。

その上、体の中身が実際に元気であるのなら、なお幸い。

 

普段、体力に自信があるあまり、無理をする事が多い。12時前に寝ることはないし、睡眠時間は極単に短い。眠れないのではなく、眠るのが惜しいのだ。

家族の食事には人一倍気を遣うくせに、自身は暴飲暴食したりする。キッチンで流し込むような立食で終わることも日常茶飯。座って食べる時間が惜しいのだ。

人に比べて、座ったり、横になったりして過ごす時間が少ない。夏のヴァカンスの時期以外は、のんびり過ごす時間がない。週末も朝から晩まで忙しい。疲れが溜まりに溜まっても休まない。休めない。それで、周囲の人には呆れられたり、心配されたりする。

 

子供が産まれてから、ずっと止まることなく、ルーレットの中のネズミのようにひた走ってきたけれど、最近、さすがに疲れが最高潮に達していた。走りすぎてとっくに息が切れていたのに、ずっと無視していたせいだ。立ち止まる潮時だったのだと思う。

 

忙しかったり、一休みする時間や好きなことをする時間が全くないと話すと、「そんなの普通だ」と答える人もいる。そうだろうか?普通だろうか?私はそうは思わない。ちっとも普通ではない。止まらないルーレットに載せられている現代人の生活は、見直す価値があるのだと思う。自分で廻す人生にしたい。好きなことをしないのであれば、何をするための人生なのか。

 

とにかく、良好な検査結果にスッキリした表情をしていたのか、家路に着くまで何人かの見知らぬ人に「ボンジュール」と声をかけられた。犬の散歩をしている人とか、道路の清掃員のムッシューとか。

自分の体の中にある内臓の調子などは、エコーでも通さないと観察できないけれど、どこにあるのか分からない心の様子は、しっかり他人の目にも映るようだ。