Ma boîte à bijoux 日々のビジュー

パリでの日々、思ったこと

Une longue journée

雨、時々くもり、のち晴れ

 

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激しい雨の中、停留所で、傘をさしてぼんやりバスを待っていた。

と、「サリュー!」と明るい声がして、誰かが顔を覗き込んできた。雨を滴らせた紺色のレインコート姿が頭を傾げている。頭からすっぽりキャップを被ったキャロリーヌだ。傘もささず、カバンをたすき掛けにした軽装で、ニコニコ笑って立っている。単発で調査の仕事が入ったので、これからメトロに乗って出かけるところだと言う。調査だなんて、まるで探偵みたいだ。

普段は、どちらかと言うと主婦の類に入るキャロリーヌ。面白い仕事を時々どこからか見つけてきては、いそいそとお小遣い稼ぎに出かけたりする。そこで出会った面白い人たちの話を、後日聞かせてくれたりする。物を見るセンスと話術の才能でブロカントのような事もやっていて、それなりの収入を得る術を心得ている人だ。

 

キャロリーヌのお金との向き合い方はなかなか独特で、人の一生を狂わせ兼ねないものとして非常に警戒している面があり、それ故か極めて倹約家であり、同時に実におおらかでもある。小さな節約に心を尽くしながら、大きな計画には大胆に投資したりする。経済的に困っている訳ではないけれど、節約にある種のパッションにも似た遊び心を抱いている。だからと言って、決してケチな人ではない。道端の浮浪者を目にしたら、真っ先に話しかけたり小銭をやったりするのも彼女だ。

 

軽装とはいえ、アイメイクを効かせ薄化粧を施した美しいキャロリーヌを前に、ろくに鏡も見ず、緑のセーターの上にベージュのスカーフを巻き青いトレンチをひっかけて家を飛び出た私は、「しまった」と後悔した。気心知れた友とは言え、せっかく顔を合わせる時くらい、もう少しマシないでたちでいたかった。一時が万事。後の祭り。

時間が見付かったら、きっと週末にお茶しようと話して別れた。お互いに好みが合い、よく服装を褒めてくれるキャロリーヌだから、週末のお茶会は「手に届く物を順番に身につけた」格好ではなく、もっと自分らしい格好で名誉(?)挽回しなくちゃと思った。

 

午後は東京の父からコールがあった。

孫に目のない父だ。息子が学校に行っている間にかけてくるのは珍しい。先日退院したばかりなので、何かあったのかと思えば、「窮地に陥った画家の女友達が転がり込ませてくれと頼むので、しばらく泊めてやることにした」とのこと。ホッとするやら、意外なニュースに驚くやら。

なんでも小学校時代の同級生だそうで、ニューヨークに50年住んでいたけれど、近年は絵が売れず、とうとう食べていけなくなってしまったのだそうだ。他所に行き場がないとなれば、困り顔をしながらも、父は首を横に振れる人ではない。

東京の私の実家には、昔から、彼女の描いた水仙の絵が一枚飾ってあって、それは母と私のお気に入りだった。だから面識はなくとも、私にとっても全くの他人事ではない。

 

芸術家に多大な敬意を抱きながらも、自らはビジネスの道を選択した父は、なにかとアーチストに頼りにされる事が多い。

ひょっとしたら、やもめ暮らしの果てに日々の話し相手ができるのはメリットかも知れない。食卓を一緒に囲む人ができるのは、楽しい事かも知れない。あるいは、生活を共にした事のない女性と、70代になってから同じ屋根の下に暮らすのは、ひょっとしたら窮屈かも知れない。父がどこまで彼女の悩みに対応できるのか分からないけれど、お金の問題が友情をこじらせる事さえなければいいなと思っている。できるだけ楽しく暮らして欲しい。

 

夕飯の席で夫にこの話をした。

彼は好奇の目でこちらを見ながら、ハハーンと苦笑する。「そりゃ、追い出せなくなるぞ。」確かに、その可能性は高い。無事に難なく送り出せるか、それとも、長い同居生活に入るか。両者にとって不本意でない方向に事が運んで欲しいものだ。

「だいたい、アーチストなんてのは稼げないに決まってるのさ」と、夫は高らかに述べる。仰る通り。それは事実かも知れないけれど、私は彼のこういった反応がちっとも好きではない。彼の発するトーンは、アーチストには不幸が付き物なんだと嘲笑している節がある。その価値観にはうっすら反感を覚える。気に入らない理由は、きっと私がクリエーションの喜びに一票を置く側に居るからだろう。幸せの基準なんて人によりけりだと密かに思う。夫が、「たくさん稼ぐ人」に敬意を示すのに対して、私や父は、「パッションの強い人」に軍杯をあげる傾向がある。価値観の違いは否めない。

 

それにしても、その絵描きの女性は、ご両親が他界された時も、財産配分の件で一悶着あったようだと聞いている。妥当な配分を受けられなかった様子だ。実の兄弟姉妹でそんなトラブルがあるなんて!と私が漏らすと、夫は「よくある話だ」としたり顔をする。

 

自分のことを振り返ると、私は今まで父に散々世話になってきた。父が、父の持っているものをいつどう使おうと、父本人が幸せであればいい。そう言い切れるように、家の財産などというものは全く当てにせず、私はこの先、ずっと身一つでも生きていけるような生き方をするべきだと思った。筋力を付けなくては。

 

 

1日の終わりに、今日の学校はどうだった?と息子に訊くと、放課後の休み時間が obligatoire (義務) で、早く家に帰りたくても外に出してもらえなかった と不満顔をして見せる。

そこでママンの私はピンと来た。義務!これだ!母親業も、定期的な休み時間を義務化すればいいのだ。何曜日の何時から何時までは、「何があっても休まなければいけないルール」を作ってしまおうと思った。

「いいねえ、ママもオブリガトワールの休み時間が欲しいわぁ。オブリガトワールのオヤツもいいねぇ!」と言うと、横目でこちらを見ながら苦笑する息子だった。