Ma boîte à bijoux 日々のビジュー

パリでの日々、思ったこと

Décalage

パリとトーキョーの温度差

 

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7月1日、東京到着。3年ぶりの日本。

ここに辿り着くまで、今回は実に色々と煩わしかった。

 

「フライト前の72時間以内」に、PCR検査で陰性報告を得なければならなかったのだけれど、いざ陰性結果を貰ってホッと胸を撫で下ろしたのも束の間、出発の前夜になって、もしかして「入国前の」72時間以内だったかしら?とふと思わされる節があって多いに慌てたり、

その「陰性証明書」というのも、手書きの実に簡素な紙っ切れで心許無く、心配になったり。(例えば、一枚の紙の上での日付表示が、ある時は日本式に年月日の順、またある時はフランス式の日月年の順になっていた。こんなにアバウトで大丈夫だろうか?と気になった。)

 

入国審査に備えて、日本政府が強く推奨するアプリを事前ダウンロードするにあたり、スマートフォンなるものをまだ持っていなかった息子のためにショッピングセンターに駆け込んだり。(12歳以上は、おひとり様に付きスマートフォン一台必須とのこと。息子は今まで使っていたヴィンテージの古いケータイを放り投げて大喜び。)

 

フライトの直前キャンセルもあり得ると伝え聞いていたので (例えばパイロットが感染した場合?)、当日まで「本当に飛べるのかしら?」と少なからず気掛かりであったし、いざ当日になってみると、トランジットを控えているにも関わらず、最初のフライトが大幅に遅れてヤキモキさせられたり。

 

案の定、ヘルシンキでのトランジットは時間ギリギリで走らなければならなかったし、そこから北極海の上を13時間半飛んでやっと日本に到着したかと思えば、審査時に携帯にWifiがなかなか入らず、アプリ内の肝心のQRコードが表示されずに、「それを提示して頂けないと入国ができません」とポーカーフェースのお姉さまにサラリと言われて非常に焦った。(横に居る息子をなだめながら、平常心平常心 と心の中でお経のように唱えた。)

 

そんなこんなの珍道中の末に辿り着いた祖国ニッポン。

出発時のパリの空港は物凄い人出で、そのうち2割の人しかマスクをしていなかったけれど、到着した成田は閑散としていて、すれ違う人ひとり残さずマスク姿。危機感の差と国民性の違いを目の当たりにした。

 

迎えに来てくれた父は元気そうで安心。ただ、以前より少し痩せたかな。父は父で、久々の私を見て「疲れた顔をしているな」と思ったかも知れない。背の伸びた息子を見て驚き、喜んでいた。(3年ぶりだもの。クラス一のおチビさんでも、それなりに大きくなったというもの。)

 

久々の東京は、一見したところあまり変わっていない。ただ、実家の近くを散歩したり買い物に出たりして数日経ってみると、パリと比べて明らかに温度差があることに気が付いた。温度計の示す数値とは裏腹に、パリはホット、トーキョーはクールなのだ。

 

お気に入りのカフェの前を通れば、2月からずっと休業している様子。贔屓にしていた惣菜屋のイートインコーナーには透明のセパレーターが設置され、「黙食で宜しくお願い致します」の張り紙。屋外でも殆どの人がマスクをしている。

出発前のパリでは、屋外のテラスはもちろん屋内でも、カフェやレストランは久々の盛況ぶりを見せていた。まるで以前の世界が戻って来たかのように。いや、これまでの鬱憤を晴らすかのように、以前より一層輪をかけて人々は社交のひと時を謳歌している風でさえあった。

 

ジャン・ドゥ・ラ・フォンテーヌの「アリとキリギリス」の寓話をふと思い出す。先を見越して用心深く賢明なアリと、刹那的な楽しみに没頭して明日を気に掛けないキリギリス。この寓話は、一体どちらに対しての讃歌なのか?というのが、時々フランスの文学者の間でも話題になったりする。

 

友人達に日本到着の報告メールを出したけれど、「一緒に飲みでも食事でも!」という私の呑気な文面に、みんな今ごろ驚いているところかも知れない。西に飛んだアリは、すっかりキリギリスになって帰って来たという訳だ。我ながら、うっかり。やれやれだ。