Ma boîte à bijoux 日々のビジュー

パリでの日々、思ったこと

Café, Cosmos et tomates

パリは美しい秋晴れの日が続いている。

 

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土曜の朝。

久々に仲良しが集まって、キャロリーヌのお屋敷 (風格のある家なので私はそう呼んでいる) のキッチンで、女3人かしまし朝のお茶会となった。

窓越しに見える庭には、背の高いコスモスがたくさん咲いていた。そのピンクの花びらが朝日に透け、葉脈だけのような姿をした繊細な葉っぱは緑の煙のようで、眩しく、神々しい。

 

私達3人は、3人とも、現在ちょっとした試練の時期にいる。まあもっとも、人生というのは、多かれ少なかれ試練の連続のことを指すのかもしれないけれど。

 

なかでも一番大きな局面に立たされているのはユリさんで、遅れて到着した私が朝日の差し込むキッチンに入った時、彼女を見てすぐに昨晩泣いた顔だと判った。

温かいマグカップを片手に話を聞く。時々、彼女の頬を、堪えていた涙が伝って落ちるので、キャロリーヌと交互に肩を抱いてやったり腕をさすってあげたりした。こういう時の肌の温もりはとても大切だ。

 

子供の前ではママンは辛い時も泣くに泣けない。子供達は、寄りかかれる存在や、何があっても逃げ込むことのできる場所を必要としているから、多少の泣き言を言う事はあっても、彼らの目の前で私達が崩れ落ちてしまう訳にはいかない。でも、気の置けない友の前では、いくら泣いても大丈夫なのだ。

 

スーパーマンとか、スーパーウーマンとか、ヒーローやヒロインはたくさんいれど、何を隠そう私たちはスーパーママンなのだと思う。いつも強い存在でいれる訳ではないけれど、強いフリをしているうちに、そのうち本当に強くなっている自分がいるのに気がついたりする。辛いことがあったときには、スーパーママン同士で弱い自分を白状し合って、またパワーチャージして元気に出直すのだ。

 

お茶会の帰りに、庭のコスモスと今年最後の収穫のトマトを分けてもらった。そう、キャロリーヌの10月の庭には、去り難き夏の「名残り」と秋の勲章が並んで輝いている。

Nagori という言葉は、フランスの日本人女性作家、関口涼子氏の近年の著書のタイトル。その淡い後味のような意味合いが、文学の力でフランスの地にも根を下ろしつつある。彼女も私が憧れる素敵なスーパーウーマンの1人だ。

 

女性よ、強くあれ。

女性よ、輝け!

どんな時も、明るく 楽しく 美しく!