Ma boîte à bijoux 日々のビジュー

パリでの日々、思ったこと

Une pièce, une pensée

よく晴れた月曜日。

 

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秋休みが明けた今朝、息子は久々に学校に行った。

快晴の空とは裏腹に、月曜の朝、ことに新学期の月曜の朝の彼は憂鬱な面持ちだ。

息子に限らず、この週末に会ったソエルもジャッドも、マリーもエミリーも、みんな一様にして学校再開を嘆いていた。「学びの場」は、いつからそんなにつまらない場所になったのだろう?残念なことだ。

 

通勤客が忙しく行き交うメトロの廊下を渡っている時、Une piece s'il vous plaît (コインをお恵みを) と声がした。顔を上げると、頭にヴェールを被り杖をついた女性が紙コップを差し出す。ごめんなさい、持っていません と言って通り過ぎた。

嘘ではない。財布はペッタンコなのだ。カードが数枚あるきりで、紙幣どころかコイン一枚入っていない。物乞いの人達にとっては、ますます過酷なヴァーチャルマネーの時代に入ってしまったんだな と思った。

 

形あるものがどんどん増える喜びの時代が頂点に達して、逆に、ものが次々に視界から消える喜びの時代に折り返し、ヴァーチャルの傾向はもっともっと加速していくのだろう。そのワルツのスピードが最高潮に達した時、突然音楽がピタリと止んで、ハッと我に返るとなんにも無くなっていた なんてことになったりして。

携帯が故障して、数日間まともに何もできなくなった友人の話を聞いて、ふとそんな風景を想像した。

昔、実家の両親の書棚に「そして誰もいなくなった」という題の本が置いてあった。幼心に勝手なストーリーを想像したものだけれど、その横に「そして何もなくなった」と並べてみたくもなる。

 

そして、しばらく前から興味のあるものに、修道女や修道士達の生活がある。

過ぎたる9月に、フランスの国家遺産建造物の解放日というのがあった。家の近くにある小さな修道院も門戸を開放していたので、試しに訪れると、ここでも見学にはワクチンパスポートの提示が必要とのこと。諦めざるを得なかった。

一緒に居た夫と息子だけ中に入り、私は付属の書店を物色して待つことしばし。出てきた2人に感想を聞くと、「よかったよ」と夫。「つまらなかったよ」と息子。それ以上の情報は特に得られなかった。

 

そもそも、隠遁生活を送る人々の生活感覚に興味を持ったキッカケの一つは、ユゴーのレミゼラブルの再読にある。清貧を極め、ドアに管抜きの一つもかけず、来るもの拒まぬビヤンヴニュ司祭の生き方が新鮮で、関心を持った。

2000年の予期せぬ危機以来、自分も含めて、周囲の一部の人たちの金銭感覚が少なからず変わったこともある。現代の世の中で、お金を必要とせずに実際に生活することができるのか?それは一体、どんな生活だろう?

 

それから、転職を考えている友人に、自然医学や植物学の勉強を一緒にしないかと誘われ、色々と先のことを想像したこともある。研修には高額な学費がかかる上、それを取り返すべく、あるいは生活の安定を図るべく、めでたくディプロマを獲得して人の相談にでも乗ろうものなら、一回の相談料で70ユーロはくだらない。人を癒したり、必要としている人の役に立ったり、持っている知識を分けたりするのに、そんなに大金がかかる世の中というのは、どうしたものか。どこかしっくり来ない。

 

修道院の書店を覗いた日、その棚に La richesse de la pauvreté 「貧しさの豊かさ」というタイトルを見かけた。含蓄深い。

隠遁生活を送るほどストイックにならずとも、明るく楽しい清貧の美を目指して生きていきたいなと思うこの頃だ。