Ma boîte à bijoux 日々のビジュー

パリでの日々、思ったこと

Dernière heure d’hiver

冬時間というもの

 

f:id:Mihoy:20221105075801j:image

 

今年もまた「これが最後です」と謳いながら、先週末から冬時間になった。

去年も確か同じ文句を耳にしたけれど、結局のところ「最後」が毎年繰り返されて、なかなか終わりにならない。

フランスの人達は、この面倒な季節性の時間制度にどうやら未練があるらしい。夏時間が冬時間に、冬時間が夏時間になる度に、街角で立ち話ししては口を揃えて不平を言っているような印象を受けるけれど、それはお天気と同様に恰好の「話の種」であるというだけで、実は誰も不満を感じてはいないのだろう。この国らしいなと苦笑してしまう。

 

もっとも、夏時間から冬時間への移行は、その逆に比べると素敵なお得感がある。眠っているうちに1時間の「差し入れ」があるのだから。

土曜の朝、寝過ごしたかな?と思いながら目が覚めて、薄目を開けて眺める枕元の時計が9時を示していたら、それは8時を意味するのだ。「もう9時」が「まだ8時」となる。もう1時間ぬくぬくしていられるのだと思える幸せ。時間のプレゼントを受け取る幸せ。

もちろん、スマートフォンなぞは調整せずとも自動的に冬時間を示してしまうので、この夏と冬の1時間の時差がしっかり味わえず、便利な反面お得感も薄く面白味が無いのだけれど。

 

我が家には時計がいっぱいある。

壁掛け時計だけを数えても、居間に2つ (そのうちの一つは鳩時計)、台所にひとつ、洗面所の横にひとつ、息子の部屋にひとつ。卓上の目覚まし時計は、私と息子のベッドサイドにそれぞれ一つづつ。電子レンジやオーブンに付いているデジタル時計を合わせると、一体幾つあるのやら。

夫は徹底したデジタル派で、その上、腕時計も目覚まし時計も疎ましがって使わない。時間と言えば、もっぱらケータイとパソコンを覗きこむ人だ。一方の私は、数字を示すデジタル時計よりも、丸いホールケーキを1秒ごとに切り分けるような、円盤に針のついたアナログ時計のほうを断然好む。

 

夏時間が冬時間に移行すると、当然、家中の時計を直して回らなければならないのだけれど、我が家の場合は「ピンポイント的に几帳面な」息子がいつの間にか新しい時間に合わせてくれる。気が付かないうちに、私の枕元の目覚まし時計までちゃんと調整してくれるという律儀さ。高い位置にある壁時計などは、椅子やら脚立やらを使わなければ手が届かない筈だけれど、不思議なことに彼がそうやって調整している現場を目撃したことがない。なんだか家族に時間密造会社の派遣員がいるようで可笑しい。

 

冬時間になってせっかく1時間稼いだというのに、しばらくは「蜃気楼現象」とでも呼べそうな状態が続く。時計が13時を示していても、「それは昨日までの14時だから」と解釈して、そろそろ昼食を切り上げなくちゃと思ったり、夜の21時は「昨日の22時である訳だから」、息子に早くベッドに行くように催促したり。新しい時間が定着するまで数日間は、そんな風に時計の示す時間を鵜呑みにしない生活が続く。ちょっぴり奇妙な感覚だ。

 

 

2週間の秋休みも終盤の今日は、息子とバスチーユのヴェニス展に足を運んだ。

水の都ヴェニスは、昔母と旅した特別な場所。広場の老舗カフェで、最後の夜にうっとりするようなピアノ演奏を耳にしたこととか、スパゲッティポモドーロばっかり注文して食べ比べたこととか、ウフッツィー美術館でボッティチェリを鑑賞したこととか、いろいろ思い出してノスタルジックになった。いつか息子を連れて行って、あの運河のゴンドラに乗せてあげたい。美しき海底都市になる前に。思い出の底に沈んで、消えてしまう前に。

 

20度が続く暖かい秋が終わりを告げて、冬時間に促されるように寒さがやって来たこの頃。今日の外出では、この秋初めてコートに腕を通した。