Ma boîte à bijoux 日々のビジュー

パリでの日々、思ったこと

Mois de lièvre

花曇りの朝

 

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散歩がてら駅までカバンの重い息子を送った帰り道、ゆっくり坂道を登る。

音楽を聴きながら。ここ数日なぜか頭の中に繰り返し流れるのは、ザ・ポリスのEvery breathe you take のメロディーだ。

 

音楽はいつも向こうからやって来る。こちらが選ばずとも、どこかで偶然耳にした曲が頭を離れなくなったり、何かの拍子に不意に頭に浮かんできたり。きっと音楽は「頭」の産物なんだろうな。それが「心」を掴んだり、癒したりする。

 

取り立てて mélomane (音楽愛好家) を名乗れるような身ではないけれど、洋楽とジャズに詳しい夫には「おまえは何にも知らない」と笑われるけれど、それでも、音楽と私は極親密な関係にあるのだと思う。日々の気分に寄り添い、盛り上げ、たくさんのピンチも救ってくれた。

たとえ多くの曲の名前を知らなくても、それがその場に流れていなくとも、頭の中に常に音楽はある。何も聴かずに鼻歌を歌う人こそ、きっと隠れた真の mélomane なのだとこっそり思っている。

 

教会の横に立つ遅咲きの八重桜の前を通る。

何を思ったか、誰の仕業なのか、去年バッサリと大半を斬り捨てられて、救いの腕を伸ばすように枝一本のみ残す姿となってしまった。歩道に散る花が通行人の邪魔だというのか。心無い解釈だと思う。それでも濃いピンクの花が満開で健気だ。

 

家に着いてドアを開け、小脇に抱えていたバゲットをキッチンに持って行き、耳からイヤホンを外して、居間の東向きの窓を大きく開け放つ。賑やかな鳥のさえずりが耳に届く。アパルトマンの小さな庭の緑が目に眩しい。梨の木は白い花を咲かせている。

私を幸せにしてくれる一番の音楽は、きっとこの小鳥たちの朝の囀りだろうな と思いながら、胸いっぱい深呼吸する。

いつか森の近くで暮らしたい。私は毎朝とても幸せに違いない。

 

昨日の月曜はイースターの祝日だった。

息子は今でも「卵狩りがしたい」などとのたまう。考えてみたら、小さな子供向きのお楽しみイベントは多いけれど、ティーンネイジャーになった途端に「もう恥ずかしい」という理由で外されてしまう。自ら「もう恥ずかしい」モードになる子供たちはいいけれど、なかなかそうならない子供たちも、「もう大きいから」と指をくわえて見ているしかないのかな?

 

夫は冷蔵庫から仔羊の肉を出してきて、仔羊はパック(Pacques/イースター)の食べ物で、「パスカルの仔羊 (agneau Pascal) と呼ぶんだ」と、したり顔。彼がカトリックの風習を気に留めるのは極めて珍しい。15年以上一緒に暮らしているけれど、パスカルの仔羊なんて初めて聞いた。きっと偶然買って冷蔵庫に入れていただけに違いない。彼の従兄弟の1人に、ちょうどパスカルという名の堅気な裁判官がいる。夫の手にした仔羊の肉を眺めながら、「裁く」パスカルが「裁かれた」パスカルになったのね と返事をすると笑っていた。

 

せっかくのイースターなので、本棚から、昔読んだウサギの出てくる絵本を取り出してきて居間に飾る。絵が美しい。

絵本は子供だけのものではないと思う。大人は大きくなった子供であるし、子供はこれからの大人なのだから。

 

ついでに、先日近所の本屋で見かけて衝動買いした「ウォーターシップダウンのうさぎ」の小説を、この機会に読み始めようと思い立つ。

レジに持って行くと、店員の男性が「僕もこの本好きです」と話しかてきた。よく行く本屋なので顔見知りではあるけれど、控えめで、それまであまり会話をしたことのない人だったので印象的だった。私は「子供の頃に日本で一度読んだけれど、当時は幼過ぎたのか内容はよく覚えていないんです」と答えた。読み甲斐のあるお話だったことだけは記憶している。

 

卯年の卯月。

卯月の卯は「卯の花」を指すそうだ。

兎の卯でもいいのにな と思う。うさぎ年生まれの私としては。