Ma boîte à bijoux 日々のビジュー

パリでの日々、思ったこと

Bleu éclectique

L'exposition d'El Greco

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エル・グレコ。

スペインの画家だとばかり思っていたら、クレタ島の生まれだった。

青白い細面に、どこからとなく差す電撃的な光。まるで落雷間近な空。ドラマチックに沈んだブルー。赤ではない赤は、フランボワーズを煮詰めたような色。どの絵を取っても、極めてテアトラル( théâtral 劇的)な構図と色合い。

私がグレコに興味を持ちはじめたのは、思えば中学の美術の教科書に載っていた受胎告知を見てからだ。神懸かり的な光の具合が衝撃的だった。

 

ダヴィンチの絵画と同じく、描かれた人物の目線と、手や指の仕草が多くのことを物語る。グレコの描く人物の天を仰ぐ散白眼は、独特で忘れ得ない。

 

それにしても、宗教画ほどお喋りな絵画はないだろう。その言語を理解しなければ、意味するところが判らないけれど。

母親に抱かれた幼いキリストが、ジョゼフの差し出す器に載った果実を手にしている一枚の絵。果物ひとつ取ってみても、イヴの原罪を象徴する林檎、キリストの情熱の血を暗示する赤黒いチェリー、穏やかさを表す梨、といった具合だ。

そこに添えられたマリア様の手の三本指は、父母子の三位一体 Trinité を表しているのだとか。Rien n'est laissé au hasard. 

 

アダムとイヴ、イヴの誘惑、処女にして神の子を身篭った聖マリア。これだけ見ても、カトリック界の女性観がよく窺われるというもの。

それにしても、「かたわれ」という言葉がよく人の口から出るように、人間は1人では不充分な存在なのだろうか。半分なのだろうか。その答えは、分かりきっているような、分からないような。

 

展覧会の鑑賞中、毎度のように、きっとこの人とは気が合うに違いない と感じる人に何人かすれ違う。もちろん、話しかけるには至らないけれど。

オレンジ色の長い髪のメガネの女の子。お互いに1人で来ていて、鑑賞するペースが似ていた。美術学校の学生らしい若いカップル。なぜか何度も目があった。日本に興味があるのかもしれない。黒い細身のコートに身を包んだシックな男性。着こなしのセンスが私のタイプだ。

一枚一枚の絵の前で、若い連れにレクチャーをしている年配のムッシューも見かけた。私も、師と呼べるような、年上の、見識豊かな人に横から解説して貰いたかったものだ。