Ma boîte à bijoux 日々のビジュー

パリでの日々、思ったこと

Je suis une collectionneuse

どんどん増えるタネ集めについて。

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パンデミック騒動と過ぎ去りしお篭り生活がキッカケとなって、私は、日常生活単位でこの世への眼差しが変わってきた。

 

どういう経緯なのか話すと長いので端折るけれど、この頃、たとえば果物を食べたり野菜を切ったりしていて種を見つけると、その度に嬉しくなってしまう。それがぷっくりときれいな形だったりすると、未来への約束のようでいちいち感動する。種がいっぱいある果物を見て嬉々とする人もちょっと珍しいだろうけれど、自然はなんて気前がいいのだろうと感心してしまう。今までのようにゴミ箱に直行してポイしてしまうのが惜しくてならない。そんな訳だから、種がどんどん増えていく。

水に浸けておくと発芽を促すはずなので、水槽の金魚よろしくコップに入れて並べてある。オレンジの種、レモンの種、さくらんぼ、グレープフルーツ、りんご、楊枝を刺してスプートニックみたいに見えるアボカドの種。

この週末は園芸店に走って植木鉢を買ってこなくちゃ。

 

それにしても、果物というものは、この世で一番食べたがられている食べ物ではないかしら。だって果物は逃げない。叫ばない。熟れれば自ら落ちてくる。その食欲をそそる容姿、色、甘さ、香り、あらゆる手段を使って誘惑してくる。

種を運んでもらう必要があるから、それを食する動物とは基本的にギブアンドテイクの関係なのだ。だから、こちらは堂々と「いただきます」が言える。それなのにタネはポイでは、ちょっと裏切り行為のようで気が引ける。

 

逆に、一番食べて欲しがっていない食べ物は何だろう?先日ラジオで、屠殺される動物の権利について話していて苦笑してしまったけれど、確かに酷い殺され方をした不幸な動物は、不幸な食べ物のような気がする。フランスの一般的な家庭でノエルに頂くフォワグラだって、一年に一度できっと幸いなのだ。不幸なものばかり口にしていると、どんどん惨めになりそうだから。

 

タイミングよく息子の生物の授業で豆知識を得て、コンポストにも興味を持ち始めた。

今まで気が付かなかったけれど、息子が生まれて以来なるべくオーガニック野菜を優先している我が家は、なんとコンポスト素材の宝庫であったことか!バナナやオレンジの皮も、ポワロねぎの根っこも、土に帰って栄養になるというのに、捨ててしまってはもったいない。植木鉢一つあれば出来るコンポストの方法を知ったので、さっそくバルコニーで実践し始めた。そのうち、大嫌いだったミミズを見つけては感動するようになったりして!?幾つになっても人は進化するものだ。

 

付随的に、私の個人的なエコロジー活動への積極性も変わった。

つい最近まで、エコロジックと聞いても、胡散臭かったり、実感が湧かなかったり、言葉だけが収まり悪く宙に浮いているように思えたけれど、この頃になってそれがようやく腑に落ちた。結局、本来は極当たり前になされるべきことが残念ながら当たり前にはなされないので、意識して生活に導入しなければならないまでの事なのだ。

エコロジック (環境保護) なんて言葉ができること自体、私たちは尋常ならぬ所まで来てしまっているということなのだろう。

 

タネのコレクションがどんどん増えて、

ああ、やっぱり庭が欲しい。