Ma boîte à bijoux 日々のビジュー

パリでの日々、思ったこと

La soupe paysanne

お百姓さんのスープ

 

f:id:Mihoy:20210202072517j:image

 

ヨーロッパの中世では、根菜は典型的な「百姓の食べ物」であったそうだ。

封建制が敷かれた階級社会であった当時、高貴な身分の人は高い場所に位置する食材を口にしたというから面白い。空を飛ぶ鳥などは最も高貴な食べ物であったに違いない。また、珍しい食材は価値があるとされたので、孔雀なども宴の席に出されたようだ。

一方、階級ピラミッドの底辺に当たるお百姓衆は、口にするものも低い位置にあるものが充てがわれた。地面に埋まっている根菜などは、なかでも一番身分の低い食べ物と見做されていた訳だ。そして私は、そんな冬のお百姓さんスープが大好き!

 

冬の日に暖かい大地の懐でぬくぬくと英気を養う根菜は、包丁を入れると断面に思わぬ美しい色が現れたりして楽しい。日本で見る一般的なそれと違って皮の黒いフランス大根 (radis noir) は中にスが入っている事が多いけれど、最近は慣れて手にした重みで当たりハズレの検討が付くようになった。ビーツは周りにあるもの何でもかんでも構わず赤く染めてしまうし、頭だけ紫の蕪はまるでインク壺に半分浸したよう。これぞ青大根と呼びたくなるような緑の根菜を切ったら内側にピンクの斑が入っていたり、紫の古代種人参を切れば中心にオレンジを秘めていたり。色彩の少ない寒冷な土地に生まれたシャガールの絵が驚くほど彩豊かなように、冬の根菜達も地中で人知れずファンタスティックな夢を見ているのだ。

 

それにしても、中世であっても今日であっても手がかかる料理や珍しい食材を好むのは、なんて人間らしい価値観なんだろうと微笑ましい。人は食べ物を口だけで味わうのではない。半分は心で味わうのだ。

 

実はここのところ数日珍しく調子が出なかった。日頃の極端な寝不足がたかったのと、日光不足、運動不足のせいだろう。軽い栄養不足もあるかもしれない。四六時中台所に立って家族にせっせと栄養の付くご飯を作るくせに、自分はついないがしろになりがちだ。気が付くと、手っ取り早く口に入れられるもので空腹を満たしてから食事作りにかかったりするせいで、出来上がったものを自分は食べない事も多い。子供ができてからは特にそんな傾向が強い。新鮮で美しい食材を使って美味しいものを作ったら、なるべく育ち盛りの息子にあげたいと思ってしまう。献身的と言うとなんだか聞こえがいいけれど、裏を返せば自分を大事にしていないことになる。それは美徳とは呼べそうにない。その上、当の子供は殊更そんな態度をこちらに要求している訳ではないのだから、これはもう独りよがりに近いのかも知れない。この世に自分よりも大事なものがあるのは強さに繋がるけれど、同時にひどく厄介な事でもあったりする。

 

せめてお百姓さんのスープくらい、自分の器にたっぷりよそうことにしよう。私の星の王子さまは、どうせもっと高貴な食べ物をお喜びになるに違いないのだから。